『雨に唄えば』―気の利いた、あまりに気の利いた、
名前しか知らなかったハリウッド黄金期の金字塔的名作。
やー。耐用年数長いわー。面白かった。
この映画を一言で表すならば、「気の利いた映画」だと俺は思う。
気の利いた映画は、サービス精神の旺盛な道化のような映画だ。
①絵作りの気が利いている
とにかく主人公ドンとその盟友コズモが良く動く。
彼らは元々音楽家であり、俳優学校で学んだ俳優でもある。
サイレント時代の俳優である彼らは、とにかく動きで語る。
上のキャプチャはダンス公演の最中だが、これほど「悩み事は何もない」表情と動きがあるかね!
この動きの力を生かして、見てて気持ちいこれぞ映画っていう絵がどの場面でも意識されているのだ。
比較的普通のシーンでも↑こんな風にシンメトリーで画面全体がなんとなく気持ちいい。
なにが「NO」だ!こんなの「YES」である。
②つなぎの気が利いている。
ミュージカル映画の欠点は、ミュージカル部分でストーリーが停滞してしまうことだとライムスター宇多丸が言っていた。
確かにミュージカルパートはハマれなかったらめちゃくちゃ眠くなる。
心地よい音楽の中で謎のコンセプチュアルな光景を見せられるわけだからな。
その点、『雨に唄えば』は気が利いている。
たとえば、コズモのコミカルな動き(バク宙もあるよ)がみられる『Make s laugh!』のシーン。
コズモは映画スタジオで歌いながら踊り回り、
道具係の板を、
一度はよけるが、
結局後頭部をぶつけ、
倒れこむ。
このときの歌詞が「一見 優雅にでもオーバーに動いて笑わせ」。
動き・歌・ストーリー(歌詞)の三位一体。
このうちのどれか一つでも欠けたら飽きてしまうかもしれない。
でも、こうまでやられると飽きる余地がない。
有名な『Sing'n in the rain』のシーン。
「雨の中で踊る人間がいたっていいじゃないか」と踊っていたドンは警察に見とがめられる。
そこでそのまま傘のない通行人に傘を渡し、
ご機嫌で去る。
この行為の持つ意味は2つ。
土砂降りの雨の中で傘がなくてもいい位にご機嫌だということ。
土砂降りの雨の中で人に傘を上げたいくらいにご機嫌だということ。
さらに、土砂降りの雨の異化効果でより、ドンのご機嫌さは際立つ。
ことほど左様に、ミュージカルシーンに細やかな気遣いが施されている。
ミュージカルシーンがただの歌や踊りにとどまっておらず、その一挙手一投足にストーリーがある。
映画というコミュニケーションがあるとすれば、これほど饒舌なものはあるまい。
だからこそ、一回見ただけの俺の理解は、きっと30%にも及んでいないはずだ。
もっかい見なきゃ。