プレイ・ルーム
昔、深夜にみうらじゅん原作?の『親孝行プレイ』というドラマがやっていた。
要潤が主演であった。
エッチな話かと期待してみたのだが、照れくさくて自然にはできない親孝行をあえてプレイとしてやってみるといいんじゃないかというみうらじゅんのアイディアをもとにしたシチュエーションコメディであった。
「プレイ」という概念と俺との出会いであった。
学校の生徒である、というプレイ。
うららかな青春を謳歌する学生である、というプレイ。
恋人同士である、というプレイ。
子どもを見守る親、というプレイ。
演劇性に身を任せるのがその場その場をうまくこなすコツだ。
お前は生まれつき親でも社会人でも学生でも男でもお前でもない。
だから、あえて演劇性に身を任せることが重要になる。
そう思えば、『アクタージュ』がジャンプに連載されたとき「え~演劇のマンガ~?漫画で演技を取り扱うってガラスの仮面とか少女漫画的な憧れ文脈なしにジャンプ文法で行けるか?」と思ったが、演劇性というのを人類普遍のテーマとするなら全媒体・世代向けメディアで取り扱えるそれなのかもしれない。
まあ、不祥事で終わったけど。