就活中、夜行バスで泣いた話
就活の話に興味を持ってページを開いてしまう、というのは自分のどうしようもない小ささを示しているようで辛い。
この増田に対して「そんな悩みは今だけや」と思えるのも、現在曲がりなりにも正規雇用で働けているからだろうし、2016年の秋になんとか現在の会社に拾われなければもっと切迫感を持って彼の不満に自分を重ねていたはずである。
思い出せば大学入学当初はかれっじライフハッキングの学歴論とかよく見ていたし、俺は結局卑近な半径30センチメートルほどの世界に目玉だけスプリンクラーみたいに絶え間なく配って決して本気で戦おうとはしない木偶である。
とはいえ現状余裕があるので木偶であることに絶望したりはしない。
木偶は木偶なりに肥大化した14歳の心を相対化するすべは身に付けてきたのだ。
それは、とりあえず形にすることである。
詳しくはこちらに書いた。
というわけで、就活中の思い出を1つ書くことで自分から切り離そうと思う。
あれは2016年の夏。
いわゆるNNT状態の俺は迷走の末、今更のOB訪問をおこなうことにした。
相手は大手出版社Sの幼年向け漫画の担当編集H。
俺は出版社を志望していた。
といいつつ、本当はマスコミなら何でもよかった。
そこまで金がほしいとも思えず、かといって休みに打ち込むような趣味もない。
ならば、曲がりなりにも自分の好きなポップカルチャーやサブカルチャーの近くに入れた方が楽しいのではないかと思ったのだ。
――今にして思うが、こういうやつはが学生時代に業界にコネを作っておかない限り決して受からない。
当時S社は本社の建て替え工事の真っ最中。
そのため思ったよりも可動域は広くない本社ビルの応接間がある9Fに俺は足を運ぶこととなった。
Hは時間通りにやってきた。
今となっては要望もよく覚えていないが、八嶋智人に似た風貌だった気がする。
Hにつれられ、俺は小さなミーティングルームの一室で相談をすることになった。
H「―で、どうなんだっけ?まあ俺あんまりこういうの受けないからわかんないんだけど。とりあえず、どこ受けてたの?」
俺はキー局・準キー局や大手出版社、番組制作会社に編プロなど一通り受けたがどこも受からなかったこと、Hの所属するS社についてはESすら通らなかったことを話した。
H「ESが通らなかっていうのは痛いなー。なんでなんだろ、コピーがあるなら見してみ」
H「字ぃ汚っね!!」
原因はすぐにわかった。
俺の字が汚いから多分読まずに棄てられたとHは分析していた。
俺はそんなひどい話があってたまるかと当時は思ったが、今ならわかる。
字が汚いのはかなり損である。
東進の今でしょ林先生が頭のいい奴ほど字が汚いみたいみたいな説をはなしていたというワンポイントを頼りに俺は自らの悪筆を許してきたが、それは社会では通用しなかったのだ。
ともかく、字が汚くて落ちてしまったのはしょうがない。
話は今後の就活の話になる。
俺はその数日後、I社という番組制作会社の面接を受けることになっていた。
俺「というわけで、こういうES出したんですけど、どう思われますか?」
H「全然だめだね。まず、その会社のHP見た?」
俺「一応は見ましたけど……」
H「ほら、みてみな、こんな奴らよ、去年の内定者」
その会社の採用サイトはカラフルで、元気なイメージ。その内定者らも銘々希望を描いたボードをもって微笑み、というより破顔といった笑顔で正面を向いて映っていた。
H「ここに入るとすると、普通に言ったら君は向いていないと判断されるだろう」
俺「うーん。まあ、そうかもしれないですね……」
H「君は自分をどういう人間だと思う?」
俺「そうですね。モテず、」
H「モテず?」
俺「童貞で、根性もなく、顔もよくなく、やたら頑固で理屈っぽい……」
H「そうかもしれないねえ。それが君なんだよ。まずはそこから始めないと」
H「それを次の面接ではそのままいうといい。それが言えるだけで君は一次面接は突破するだろう」
俺「」
を
――絶句しつつも礼を言い、俺はその場を後にした。夜行バスの時間が迫っていたからだ。理系から院進を考えていたが、試しに出版社を受けてみたら受かったため高額な給料にも惹かれ、入社を決断したというH。
自分よりはるかに順当な人生を送っているHにコンプレックスをさらけ出させられた俺は、まるで犬じゃないか。
そう思うと、嗚咽が止まらなかった。
俺は夜行バスの中で声をこらえて涙した。
幸い遅い時間の車内はすくに電気が消され、静寂に包まれていた。
運転席と客席を仕切るカーテンの隙間から漏れる明かりを見つめて俺は鼻水を垂らしていた。
ああなんかこの気持ちを曲にできる才能でも有ればなあ――と思いながら。
その数日後、俺はI社の面接に出向き、Hに言われた通りのやり方でやり取りを行った。
えー、、僕は、そうですね、モテず、生まれてこの方彼女もおらず、才能も打ち込んだものもなくですね、ただ理屈っぽいままに暮らしてきたんですが、だからこそ、御社で頑張りたいと、、っそう、思って居ります。
結果としては、その面接は不通であった。
俺は二度とそのアピール方法は使わなかった。
そんな一回の体験で何かが変わりはしない。俺はただ、駄々をこねる子どものような心とそれに見合わない身体を有した凡人だということを、突きつけられただけである。
しかし、今はこんなに穏やかな気分だ。
だけど、ああ、俺に音楽の才能が有れば、あの日の気持ちを曲にするのに。
いまだにそう思っている。
死ぬまでずっとそう思うのだろう。
兄弟漫才って異常じゃないか?
海原やすよ・ともよ、中川家、千原兄弟、ザ・たっち、ダイタク、吉田たち、Dr.ハインリッヒ、サカイスト。
いつも兄弟芸人を見るにつけ、どういう感覚なんやろか、と思う。
人間、家庭・学校・職場とキャラクターが違うのが当たり前だ。
それが平野啓一郎曰く分人主義。我々は様々な自分を使い分けながら、時に楽をしたり、時に強気になったりして暮らしている。
兄弟漫才師には、その自由がないわけだ。
息が詰まったりしないのだろうか。
ノスタルジーの象徴ともいうべき少年時代。
一番気まずかったのは家庭参観日だ。
学校で一番面白かったあいつが、参観日には手も上げず黙りこくっていた。
そんな思い出はないだろうか?
面白いことを考える人間は、想像力巧みであるがゆえに、確固たるセルフイメージを抱いていることが多い。
つまり、自意識過剰な人間が多い。
そんな人間は、自分が幾重にもキャラクターを使い分けていることをまじまじと感じさせられる=自分の処世術を外側から見させられることに、強い抵抗を感じるはずである。
なのになぜ、漫才師たちはコンビを兄弟で組むことができたのだろうか?
1つ考えられるのは、ほとんど一身一体のように感覚が近しいという可能性である。
自分と相手がまったく同じように渡世を渡るためキャラクターを使い分けているならば、それを起点に完璧に分かり合える。むしろいつでも一緒にいたいってなもんである。
もう1つ考えられるのが、いつもいつでも同じキャラクターの異常な人間が2人という可能性である。分人していなければ、恥ずかしい瞬間もないのだ。
中川家などは前者だろうか。
Dr.ハインリッヒは前者と後者のハイブリッドっぽい。
などといいつつ、大人になったら単に”自意識過剰”という熱病が治って、キャラの切り替えもなんのその、尻の毛まで見せられるわ、ということかもしれんな。
俺はまだ兄弟で漫才できるほど老練してはいない。
ヤングジャンプ感想2017年26号(レトルトパウチ移籍号)
レトルトパウチ
少子化を極めた近未来の日本。
その対策として政府は「恋愛」を至上主義とする襟糸学園を設立した。
学園の目的は男女が正常に付き合うことを教育し、家柄の良いもの同士で結婚させること。
そのため、校内はさながらフリーセックスの様相だ。
そんな学園で数少ないがゆえに処女四天王と称されるうちの1人明星幸流は学年唯一の童貞、幼馴染の清天我に想いを寄せ、彼女もまた操を守っていた。
処女・童貞を卒業させようとする先生や学園の奔放な気風に流されず、幸流は天我と結ばれることができるのか――。
ミラクルジャンプより移籍。
「かぐやさまは告らせたい」とかと同じパターン。
ペンネームにセンスがある。岩谷テンホーのライトな奴みたいな。
ヤングマガジンでいうと『ハレ婚。』の人みたいな、エロに比重を置いた恋愛漫画の作家。
ただ、こちらはかなりラブコメよりで、クズの本懐に比べてストレスフリーで読める箸休めにちょうどいいマンガだ。
そうなると、同じ微エロ箸休め枠の『源君物語』や『クノイチノイチ』は地位が危ういんじゃないかね。
タイトルがレトルトパウチ―加圧可熱殺菌が行われた無菌の食品加工―というタイトルの通り、童貞・処女の無菌性から指向性を広げていったタイプの作品だ。
エロ雑誌ではない作品で読者を楽しませるには、その作品で描きたいエロさが定まっていなければならない。そうでなければ消して勝てない。
そのため、これは非常にクレバーな戦略である。
というか、そのほうが俺は好き。
ロゴや絵柄の少女漫画っぽさもその無菌性を際立たせるための演出であろう。
さて、移籍第一話『あげない!』は転校生が来てトラブルメーカーのにおいを醸すというベタな展開である。
とはいえ、ここから恋の鞘当ても始まり、すわ、NTR展開(読者にとっての)があるかと思わせる部分もあって話的にはとても良かった。
ただ、ビッチキャラのめばえと幸流の顔があまりに似すぎている。
というかキャラの顔の書き分けが横槍先生はあんまりできていない気がする。
クズの本懐の主人公もなんか髪型変えたら見分けつかなそうだしな。
とはいえ、微エロ漫画にもってこいの設定、これがある時点である程度話の腕が見込める作者であれば面白い(エロい)話は量産できるはず。
今後も期待したい。
『かぐやさまは告られたい』
最近冒険が多い。
生徒会を解散してみたり、会長の見た目を変えてみて、それでかぐやを動揺させてみたり。
日常ギャグはキャラの好感度のパラメーター調整が非常に難しい。
その綱渡りを今のところギリギリで渡ってきている。
今回は会長が優等生キャラに脅かされて対抗心を抱き、嫌味を言うというシーンがある。
それを突き詰めるとなんだこいつ嫌なやつだなとなって読者の気持ちが離れてしまう。
かといって、動じなければ話が始まらない。
そこで作者がどうしたかというと
―話題をそらした。
バカキャラの藤原書記が後輩から持ち上げられるという展開に持っていくことで作中人物の意識も嫉妬からずらし、読者の意識もそこから動かしたわけだ。
その点、達者である。
落ちはちょっと安易だった気もするけど。
シンマンGP2017
ヒトリアソビとブルーフォビアということで、順当にどちらも面白かったところが上がってきたように感じる。
けど、微エロ枠はもう埋まってると思うけどな。
微エロ×感動はないからいいのか。
でもそんな話続けられるか??
レトルトパウチ! 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
- 作者: 横槍メンゴ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/12/19
- メディア: Kindle版
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毒毒毒毒毒毒毒毒毒(もうどく)展・痛(two)@池袋サンシャイン水族館―シンプル感想とシンプル写真
サンシャインシティ |毒毒毒毒毒毒毒毒毒展・痛(もうどく展2)
猛毒展とは、「毒」というコンセプトに乗っ取って、毒レベル1(微弱毒)、毒レベル2(弱毒)、毒レベル3(毒)、毒レベル4(強毒)、毒レベル1(猛毒)、毒レベル測定不能(測定不能)の生物らを陳列する現代の見世物小屋である!
その見世物の写真を印象に残ったものに限定して披露する!
ポルカドットスティングレィ―毒レベル4(強毒)
斑の斑点を持つ美しいドクエイ。
この名前を拝借したバンドが最近著しく売れかけている。
とてもあざとい。
モノクロの体に白の斑々、マット加工を施されたかのような肌触り。
これは、もはや海のミッキーさんなのだ。
しかもよく動く。
水族館の動物園に対する利点は大きく分けて2つある。1つは、涼しいこと。もう1つは、生物が活発に活動してることだ。
動物園に行って、活発なライオンを君は見たことがあるか?尻を向けていないカバは?目を覚ましたコアラは?
その点、水の中の生物は元気なのだ。なんたって水の中なんだからな。
ペルビアンジャイアントオオムカデ―毒レベル4(強毒)
世界最大のムカデ。
獰猛な性格で、時には小型の蛇まで食べてしまうほどだという。
あごの力は強靭で、プラスチックケースを嚙み千切るほど。
猛毒展のえらいところは、毒の力だけに頼らず、観客を楽しませようえんせという工夫がみられるところだと思う。
それで大人600円は激安のたぐいだ。
このぺルビアンブースでは、この獰猛なムカデが蟋蟀(コオロギ)を捕食するさまが動画で流される。別に生でなくても、これで大満足である。
砂漠の中から現れ、雷を起こして生物を捕食するというトンデモ生物なのだが、オカルト界では最も実在する確率の高いUMAとして挙げられることもしばしばだ。
それは、このペルビアンジャイアントオオムカデのような怪物が現実に実在するからかもしれない。
オニオコゼ―毒レベル4(強毒)
昔漫画でオニオコゼ毒にやられる漫画を読んだ覚えがあるのだが、なんだったけ……?
とりあえず食うか踏むかしていたような。
厚手のゴムも貫通するほどの固い棘を有しているそうだ。
刺されると激しい痛みに襲われ、その痛みは「満潮時に刺されると潮が引くまで続く」ほどだという。
なんか美味しんぼで「不細工な魚ほどうまいんだよなー」と食べていたきもするんだが、そんなわけないよなー。
いや、でもフグも食えるしなー。
ゴマモンガラ―毒レベル3(毒)
顔が怖い!
これに尽きる。
「攻撃性も強く、人間にも容赦なく襲ってくる」とのこと。
人食い魚として知られるピラニアは実は臆病で人間に近寄らないらしいが、
よっぽどこちらのほうがピラニアっぽい。
体内にシガテラ毒(毒のある生物を食べることで蓄えられる毒)も持つそうだ。
食べられもしない!
いや、でもフグとかあるしな~。
ネコザメ―毒レベル2(弱毒)
毒レベルは正直そんなでもない。
しかし、サメが毒を持つというのが妙にそそられる。
学名によるとどうやら日本固有種っぽいですよ。
毒があるのは牙ではなく背びれ。
背びれの前にある白い突起がそれだ。
もちろんあごの力も強靭で、硬い貝殻をかみ砕くが。
ミツユビハコガメ―毒レベル不明(症例が少ない)
陸生のカメの中で唯一毒を持つレアなやつ。
毒キノコを食べることで体内に毒を蓄積するシガテラ形式の毒使いだ。
だが、俺が気になったのはそんなことではない。
指5つあるくね?
角度の問題だろうか……。
シマスカンク―毒レベル4(強毒)
おならが臭いで有名なスカンク。
かいけつゾロリでゾロリが「くさーい」と鼻をつまんで顔をしかめる絵面を俺は今でも覚えているぞ。
しかし、その実態は毒生物。
その症状は、「悪臭、麻痺、一時的に失明する」。
い、一時的に失明!?
幻の「かいけつゾロリ盲目になる!」があったのか……。
ここでも面白い試みがなされており、スカンクの臭みを再現したものが体験できる。
都内のYoutuberは全員足を運ぶが良い。
下手な映像編集を行うより、よっぽどコンテンツの質が高まるぞ。
嗅いでみた感想としては、「おならと獣臭」が混ざった感じである。やや獣成分の方が強い。
まあ、順当な臭いであった。
ハブ―毒レベル5(猛毒)
これは死体。
生きてるやつはいない。
咬まれると患部は出血し、激痛が走る。
このゾーンではハブの剥製も触ることができる。
カチカチだった。
以上が、特に言及することがあった生物たちである。
どれもよく動くし、展示の工夫もされている。
そして、お値段が安いもうどく展、おすすめとしか言いようがない。
残りの蓄積
<バラハタ>
<マゴイ>
<餌を食う毒ヤモリ>(素手でええんか……)
『スペードの3』―戦いから逃げるな、つまりいつもの朝井リョウ
『桐島部活やめるってよ』『何者』『武道館』の朝井リョウの2014年の作品。
2017年4月1日に文庫化された。
この作品を書いていたころはまだ東宝の社員だったんだね。
この人はあまりにも、作家的な特性を備えた人だなとインタビューや小説やラジオを読んだり聴いたりするたびに思う。
その特性とは、客観視を超えた客観視。
現実(と我々が思っている人間関係すらも)作者の視点から俯瞰してみる、その俯瞰する自分すら俯瞰する、メタ×∞力だと思う。
「自分は思慮深い」と思っている人を、「まさか」というところから驚かせたい気持ちはありました。僕自身、ストリートダンスサークルに所属して、クラブでダンスバトルをしながらも小説家デビューした、というのもその一環です。作家を夢見る早稲田の読書家たちが、一番脅かされたくなかっただろう人に脅かされている顔を見たかった。
単純な人間をメタ的にみる思慮深い人間をメタ的に見て単純な人間の立場から憤りつつ、さらにメタ的な視点を持って小説という形でチクリと刺す。
こういう「自分思慮深いって思ってひがんでるだけって逆にダサいわ。単純なリア充で何が悪い」という視点はここ最近のネットではあたり前のものとなっているが、『桐島~』以前にはあまりなかった気がする。
もちろん世間一般にそういうメタの一つ上の視点が気疲れ、共有されたというのも大きいだろうが、『桐島~』にその視点を与えられた人間も多いのではないか。
小説は、3つの連作短編で構成されている。
・スペードの3(表題作)
・ハートの2
・ダイヤのエース
スペードの3の主人公は江崎美知代。名前こそ出さないが、明らかに宝塚出身の女優、香北つかさのファンクラブ、"ファミリア”のまとめ役だ。
最初は「すわ、宗教の話か」と思うほど、規律とつかさへの崇拝でできた組織、ファミリアで美知代は権勢を発揮する。女王である、つかさであるからその大臣として。
しかし、その歪ながら安定した状態は、小学校時代の同級生アキのファミリア入りにより、崩れることになる。
ハートの2の主人公は、明元むつ美。中学生のむつ美は、自身の容姿にコンプレックスを抱いている。そのせいで、小学校ではいわゆる「陰キャラ」(作中でこの表現は使われていない)として過ごした。誘われた入った演劇部では絵の腕をかわれて美術担当として自分の居場所を見つけるが、やはりほかの部員のように舞台に出れるような、勇気や自身は出ない。
ダイヤのエースの主人公は、香北つかさ。「スペードの3」の女王である。劇団の準トップスターを務め、今も女優としてファミリアのような信者を持つほどの才能も名誉も持つつかさであるが、コンプレックスは深い。劇団の同期であり、同じ夢組でトップスターだった沖乃原円は彼女が持っていない物語も、スターの中のスターとしての輝きも、持っていた。
この3編は、いや、朝井リョウの作品は『桐島~』や『何者』も含めて、同じテーマを持っている。
コンプレックスを抱える主人公は、”戦い”から逃げている。しかし、話の終盤にかけてありのままの自分を認めることでコンプレックスを超克し、1つの成長を遂げる。
小説のテーマとしてはもっともオーソドックスな形式だろう。
しかし、朝井が小説すばる文学賞や直木賞を戴き、人口にのぼる作家であるのは、その戦いが非常に今日的でリアルなものだからだ。
今作における戦いとは、「変わる」ということである。
「女の子は思春期になると体が丸みを帯びてきます」などと文部科学省は言うが、本当は心のほうが大きく変わる。
ある子は化粧をして年上の男の子と付き合い、それをステータスとしてクイーンビー(女王蜂)の慶びを、決して明言することなく、ひそやかに謳歌する(でもほかの生徒にははっきりわかる)。
ある子は部活にアイデンティティを委ねる。またある子は部活に入っている子を俯瞰して自由にふるまうことでアイデンティティを託す。
ある子はコンプレックスに壁を作ってなるべく触れないし、触れられないようにする。その檻は巧妙で、ステルス性能を持っている。特殊なレーダーを持った機体しか気づけない。
朝井リョウは、そのレーダーを持っている。
やかましくて怖い男子と唯一言葉をかわせる私、というひそやかな優越感も、「天然パーマの髪のせいですべてがうまくいかないんだ」と信じたがる弱さも、「自分はなにも気にしてない」と心の中で唱えるほどに気にしてしまっているちょっと上のあの子へのコンプレックスも見抜いて、あまつさえ小説にしている。
女性のほうがそのレーダーを持つ人が多いのだろう。
女性作家の小説には、似たような戦いを描くものが多い。
湊かなえのイヤミス感にはそういう戦いが水面下で起こる不穏な感じを描いたものも多いし、聞いた話では綿矢りさもそうらしい。
人間関係の「戦い」から逃げるな――。
そういうメッセージが発せられる小説には説教臭さを感じてしまう場面もしばしばで、俺の場合例えば有川浩の『フリーター家を買う』とかがそうなのだが、朝井リョウの場合はなぜかそのヤダ味を感じないのは、彼が男性だからだろうか?
本作の謎として、「ダイヤのエース」はどういう意味なんだろう?というものがある。
スペードの3は最弱にもかかわらず唯一ジョーカーに勝てる札だ。
ハートの2はジョーカーを除いた正規のカードで最強の4枚の1つだ。
ダイヤのエースはといえば、2に次いで強いものの、特に役割がない。
と考えたところで、「あ、なるほど」と思った。
何がなるほどなのかについては、ぜひ読んで確認されたし。
バズマザーズライブ@新宿ロフト(5/19)
5/19は夜行バスに乗ってわざわざバズマザーズのライブに出向いた。
場所は新宿LOFT。
それもこれも、バズマザーズは仙台には来ないと思い込んでいたからだ。
結果として4月下旬に仙台Hookにツアーで訪れることが決定したため、
わざわざ有休をとって狭苦しい夜行バスに乗り込み東京を目指す必要もなかったのかなと後悔が押し寄せないでもなかったが、まあ好きなバンドのライブなのだから文句は言うまい。
結果としては「馬鹿なげえ」ライブだったというのが総じての感想だ。
実に3時間30分。総曲数40曲。
足が棒になり、腰が蛇腹になった。
文科系な観客たち
前回バズマザーズのライブを見に行った(実際には聴きに行ったが汎用表現は「見に行った」)のは実に1年半ほど前。『怒鳴りたい日本語』のリリース直後のツーマン。
YellowStudsとのやつだった。
そこから時がたってややギャップだったのが観客の意外なおとなしさだ。
前回はもっと押し合いへし合いしていた気がする。ダイブはなかったと思うけど。
俺はいわゆる「踊れる」バンドが大嫌いで、日本人なんだから踊れねーよ、聴き入りてーよ、と思うタイプの人間なので文科系のその空気が好ましいはずだったのだが、
なんだか少し物足りなくも感じてしまった。
自分がダイブしたり財布を落としたり人を蹴ったり水をまいたりはしたくないし眉をひそめてしまうのだが、実はそれも含めてライブの醍醐味だと自分が感じていたのかな、と思う。
俺は実ははた迷惑なライブキッズあるある外の人だったのか。。。
思ったより千原ジュニアじゃなかった
バズマザーズのフロントマン山田亮一の歌詞が絶品だというのはファンの誰もが首肯するところ。
歌詞がうまいというのはすなわち「物事を見る視点が独特」「言葉選びが秀逸」「人の共感を呼び覚ます人間観察力&表現力」があるということなので、必然的に笑いを取る技術にも通ずることになる。
「傑作のジョーク」という最新アルバムのリードトラックも笑いをテーマとしたMVだったが、山田はMCが面白い、と思う。
その白い肌やでかい顔に痩せた身体、そして繊細な感性×トーク力から俺は「この人千原ジュニアに似てんな~」と以前はすごく感じていたのだが、久々に見るとそこまで千原ジュニアでもなかった。
いや、もちろんMCは面白く、熱く、だったんやけど前は声すら似てるように感じていたけどそれは考えっられへん――である。
ただ、昔とがってたけどいろいろなことを経験して今は「客を湧かすためなら何でもやるで」というかわいげおじさんになっているスタンスは、以前より千原ジュニアっぽいなと思う。
はぁちみつ食ぁべたいなぁ~~~~
…ワハハ!
似てない「プーさんのものまね」を一生懸命するというべたなやり方で、場の空気をチルアウトさせる山田。
突っ込む重松。
ホモ・ソーシャルな関係をテーマにした「ユナ」の前に重松に髪をいじられる山田。
そこにあるのはあざといほどの可愛げだ。
ハヌマーン時代の山田なら自我が邪魔してできやしなかっただろう。
それは成長であってほしい、ともはや若すぎるほど若くはない俺は思う。
長い本番
このライブが、ロマンティックな男女の一夜の甘い情交だとしよう。
じゃあ今はどのタイミングだと思う?
…答えは、まだ出会ってすらいないのさ。
これが最初のMCで、俺は「こういうアメリカンジョークみたいなん好きやなー。俺も好きやけど」と思いつつ、あまり信じていなかったのだが、まさかのその言葉通りライブは3時間30分にも及んだ。
ロフトの借りる時間は大丈夫なんか?と心配になったほどである。
この後、
このライブが、ロマンティックな男女の一夜の甘い情交だとしよう。
じゃあ今はどのタイミングだと思う?
…今、まだラブホテルの部屋を選んでるところ。
というくだりも挿入され、俺は「ははーん」これで本番2曲くらいで「早漏ですやーん」(ギャフン)という落ちかと思ったのだが、本当に本番は本番で、10曲以上あった。
少し遅漏なくらいである。
ほかにも「マーボー豆腐のピリピリ感」などMCで楽しませてもらう部分は多々あった。
俺は正直ライブではMCを待ち望んでいる部分がある。
曲はライブアレンジこそあれ、今まで何度だって聞いてきたが、MCはその場限りの生ものだ。
「その場でしか味わえない感」がケチな俺には必要なのだ。
その意味では、Wアンコール1曲目の「君の瞳に恋してる」カバーは忘れられぬものとなった。
なんであの曲をやろうと思ったんだろう。
『喧嘩稼業8巻』―徳夫VSデミアン十兵衛決着。
この世で最強の格闘技はなにか―。
その一端が、垣間見えると銘打って開かれた格闘イベント陰陽トーナメント。
相撲、シラット、ボクシング、喧嘩……あらゆる格闘技の中で最強と名乗りを上げる12名の陰(古武術や地下闘技場出身など世間に知られない格闘家)と陽(横綱や金メダリストなど広い影響力とおおきな 名誉を持つ格闘家)が会いまみえる。
悪魔の頭脳を持つ高校生佐藤十兵衛は、因縁の敵、工藤を倒すため、あらゆる手を尽くしてトーナメントに参戦する。
大まかにいうと上記のような話、喧嘩稼業の8巻の感想を書く。
この間はトーナメント一回戦第二試合、主人公十兵衛VS日本拳法の使い手で格闘の才能あふれる天才、佐川徳夫の戦闘の決着をメインに描く。
↓ネタバレ
佐川は意外と活躍してない
日本憲法の使い手であり、同じくトーナメント出場者である実の兄睦夫を凌駕する才能を持つ徳夫。野球ほとんど未経験の状態でプロのストレートを簡単に柵越えさせるほどの才能を持ち、格闘技の片手間にプロ野球選手をやろうとするなどのケレン味あふれる描写もあり、「これは天才だぞ、十兵衛はどう戦うんだ」と思っていたが何のことはない、終わってみれば一方的な決着であった。
その理由は、十兵衛の強さ(悪さ)が佐川初登場時より大幅に増していること、佐川が技をほとんど出しきれなかったことの2つに集約されると思う。
十兵衛の悪さ、卑怯さがこの漫画の大きな特徴である。それは本来の作者の味である徹底的なクズさで周りや世間、芸能を笑い飛ばす俗なギャグマンガ成分が大きく影響している。ズルとわかっていながら対戦相手のの睾丸をつぶす、対戦相手に毒を仕込もうとする、セコンドを使って対戦相手に攻撃するなど、普通の格闘漫画で主人公がやっていたら、とても感情移入できない。それでも十兵衛が愛せるのは、ギャグマンガ成分でそのクズさも相対化して笑えるからだろう。
その十兵衛の悪さはどんどんエスカレートし、徳夫戦ではもはや臨界点を突破し、殺人すれすれの行為が行われることになるのだ。
とはいれすれすれというのがミソで、十兵衛は殺人に手を染めることだけは避けたいと考えている。
実際、格闘の末柔道家金田が命を落としたあとには(実際は旧友でありかかりつけの医師が殺したのだが)大きな罪悪感を覚え、写真に向かって手を合わせていた。
もう、しかしもう、そのラインまで行きついてしまった。さすがに意図的に殺人を行うキャラになったら倫理的にもキャラとして愛せるかどうか=漫画の面白さ的にも破たんしてしまうだろう。
その意味で、今後の戦闘でどのような切り口で十兵衛を強化していくのかが気になる。
まさか普通にフィジカルを強くしたり技を身につけさせたりするだけではあるまい。
佐川は正直いいところをぜんぜん出せずに終わった。終わってみれば十兵衛の踏み台みたいになってしまった。だから、今回の戦闘はほかのバトルに比べたら面白いとはいいがたい。
とはいえ、作者もそんなことは重々承知で、だから1巻分くらいでこの試合を終わらせたのだろう。
試合後はまたもや十兵衛の権謀術策
次はいよいよ因縁の工藤との試合ということで、精神面から揺さぶりをかける十兵衛。
工藤は前回の試合で死にかけている。
だから、十兵衛と試合をしたところで勝てないのではないか、という疑念が大きい。
その不安に応えるため、十兵衛が工藤に揺さぶりをかける描写を入れて逆説的に工藤の体はまだピンピンしていて姑息な攻撃をするに値することを示したのだろう。
正直、1日で優勝者を決めるトーナメントという設定は回復魔法の存在しないリアル系格闘漫画世界においてかなり苦しい足かせとなっていると思うし、ご都合のにおいも感じないでもないが……。