裸で独りぼっち

マジの日記

自宅の鍋はなぜ吐きそうになるのか?

自宅鍋ってなぜだか吐きそうになる。

別に味がまずいからとかではなく、実家にいたころからそうだ。

その理由を考察したい。

 

一、暑さゆえ

鍋は熱い。特にネギや豆腐やしらたきは、熱を保ちやすい。

皆さんも、ねぎをかじったとたんに熱いおつゆを纏った中身がところてん式に飛び出して口内を火傷してしまったことが、人生で1度はあるのではないか。

だから、鍋を食べるとき、人は破風破風(はふはふ)する。

風を口内に送り込むことで、食物に蓄えられた熱エネルギーが、蒸発とともに奪われるのだ。

結果、無意識のうちに息の吸い込みすぎになる。

胃の中に落とし込まれた肉や豆腐は空気と攪拌され、その体積を膨らませる。

それゆえ、吐き気が催されるのだ。

 

二、酒の入れすぎ

吐き気を催す鍋ランキング不動の第一位は寄せ鍋、第二位はすき焼きである(自分調べ)。

なぜだかキムチ鍋やラーメン鍋ではなりにくい気がする。

その理由は、それらに酒が使われず、またほかのだしの味が濃いからではないか。

特に魚介などを扱うとき、消毒の意味も込めて料理酒をたっぷり入れがちなのが私たち素人料理人である。

無論、鍋の時間に計量カップやスプーンなどは出る幕なしだ。

それらにちょい酔いしてる可能性。

もちろんアルコール度数は微々たるものだが、量は食材がひたひたになるくらいなのである。

知らずのうちにちょっと酔ってしまうことはないともいえない。

 

三、濡物嫌悪性

ある芸人が、TVで「濡れたものが苦手」という話をしていた。

濡れたへの嫌悪感が強すぎて、醤油を刺身につけてから一回拭いて食べるのだという。

「芸人特有の繊細さからくる強迫神経症ですなー」と距離を持ってTVを見ていたが、

正直わからないでもない気がしていた。

濡れたものって本来的には腐っていたり毒だったりする可能性が高いでしょう?

社会性が味覚を覆いつくし切らない限りは、本能が拒絶すると思うんだよなー。

いうまでもなく、鍋に入った食べ物はビショビショに濡れている。

それが、我々の濡れたものへの嫌悪感、いわば濡物嫌悪性を刺激するのではないか。

 

自宅鍋に付きまとう吐き気。

その理由を「暑さ」「酒の入れすぎ」「濡物嫌悪性」の3つに求めてみた。

この吐き気があるあるでない場合は、ものすごく神経を疑うような話をしてしまったことになるけど。

ていうか単なる食べ過ぎが原因な気もしてきた。

もしくはまだ煮え切らない野菜を食べてしまっているとか。

 

その答えは、蓋を開けねばわからない、というわけや。

ああ。。。

 

 

 

 

心温まる「丘の上の人殺しの家」

丘の上の人殺しの家

丘の上の人殺しの家

 

 みなさんは この すばらしい えほんを しっている でしょうか?

 

作者は戯曲作家として有名な別役実

童話作家としては三省堂の教科書にも採用された『空中ブランコ乗りのキキ』が有名ですね。

 

モントン村の西にある丘のてっぺんに、一軒の小さな家が建っていました。そこに住んでいるのは、ピーボデー、キーボデー、チーボデーの3人兄弟。彼らの職業はなんと“人殺し”。あれこれ工夫して地道に努力しているのですが、ちっともお客が来てくれません。そんなある日のこと、ついにひとりのお婆さんが現れて…。

 こちらが話のあらすじです。

 

これだけでは、この話の素晴らしい点がどこなのかつかめないという方が大半でしょう。

 

この話の素晴らしい点ひとつめは、「人殺し」という概念の取り扱いです。

主人公三人は人殺しといっても、通常の意味の人殺しではないんですね。

いわば、サービス業としての人殺しなんです。

ジャンルでいうと、お医者さんみたいなものを想像してください。

「え、どういうこと?」と思った方は作品に目を通してみてください。

 

この話の素晴らしい点ふたつめは、世界観です。

絵本とは、広くジャンルで見ればファンタジーに含まれるものがおおいですから、この世界観が非常に重要です。

この作品では、登場人物一人一人に、1ページしか出てこない人物も含めて(絵本なのでそういう人が多いですが)、性格設定や背景があるんですね。語られないものも含めて。

例えば、物語の中盤で人殺しのセールスを受ける美女、マニアは、明らかに怖い、得体のしれない何かをひそめているのです。

彼女は、おそらく、本来の意味で人殺しです。

しかし、作中で行う行為は「ハエを叩き潰す」ということだけなんですね。

それだけで、恐ろしい人間だとわかる。

それだけの世界観の作りこみと描写があるんですね。

これは、作画であるスズキコージの力も大きいと思います。

(余談ですが、今やっているヤッホーホイホー展、非常に行きたいです。)

スズキコージ・ヤッホーホイホー展

 

この話の素晴らしい点みっつめ、最後のポイントは語り口です。

ふたつめの説明で、ああ、これは怖い絵本なんだな、大人向けの絵本なんだなと思った方もいるかもしれません。

しかし、この作品は紛れもなく子ども向けです。

それを支えるのが語り口と主人公たちの優しい心根。

こどものための絵本とは、読み聞かされる絵本です。

つまり、読み聞かす側のお父さんお母さん、お姉さんやそのほかの大人やそれに類する人々が子どもに向かって読み聞かせても、違和感のないものでなくてはなりません。

この物語ならば、そんな場合に心配することはありません。

タイトルに、人殺しとついているのにです。

眼球をくりぬくための機会が出てくるのにです。

また、主人公たちの心根の優しさは、疑いようもありません。

愛すべきなのです。

 

以上の理由から、この話はおすすめなのです。

さて、この話は子ども向けといいましたが、勧めるわたしは大人です。

つまり、やはり子ども向けといいつつも、大人の鑑賞に耐えうる深い味わいもあるのです。

大人のみなさんもぜひ図書館や書店で探してみてください。

ピクサーアドベンチャー@TFUギャラリーミニモリ―正直ぼったくりと思た

正直ぼったくられた気分である。

なぜこうなったか、順を追って説明しよう。

 

紹介される「もしも」の世界は4つ。

順に『トイストーリー』→『モンスターズインク』→『カーズ』→『ファインディング・ニモ』となっている。

それらの世界に入りこむ「体験型企画」ということで、これは面白そうだぞ、と思うていた。

 

この体験型とは、ほぼイコール「記念写真とれまっせ」ということだ。

確かに写真は撮れるというのは能動的なことだし―写真代を取られるわけじゃないし―とは思うが、このVR、3D映像全盛の時代である。

ましてやそのクリエイティブの最前線をいくピクサーの展示なのだ。

もうちょっと…なんかこう……あるだろう!

 

以下、順を追って紹介する。

 

トイストーリー
トイストーリーなんか絶対いいやろ!あんな名作の世界で写真が撮れるなんて!それだけで満足だろ!

…俺もこの時点ではそう思ってたよ。

なぜなら、これが終わった後に、詳細な設定資料とか、映像とか、濃いめのコンテンツがあると思っていたからだ。

これらは楽しいしスマホでもそれなりの写真が撮れるようになっている。

が、それで終わりなのだ。

映画館の販促でもこういうのあるじゃないか!

あれ映画のおまけやぞ!

なんで1200円も取る本ちゃんの展示がこれのみやねん!

と思った。

だが、ここが一番コンテンツとしては濃い味だと知るのは、あと5分後のことである。

 

モンスターズインク

ここには1つ評価出来るポイントがある。

写真撮影だけでない、「体験型企画」があるのだ。

それは、体の色をカメレオンのように変えられるモンスター、ランドールと写真を撮れる展示において。

置かれているボックスを持ち上げるとランドールの色がそのボックスに対応して変化するのだ。

あれは面白そうだった。

学生カップルが永遠にそこで楽しんでいたから、俺はできんかったけどな!

 

あと、モンスターズ・ユニバーシティについては完全ノータッチでした。続編については扱う気は無かったということで。これは後のファインディング・ニモにも言えるけど。

カーズ

ここがひどい、写真撮るところが一カ所しかないのだ。

そして、写真撮るコンテンツしかないので、そこでつまり全てが終わりなのだ。

マックィーンやメーターたちが住む街に入り込む「カーズ」エリア

公式サイトにはこうある。

街狭いなー、あれじゃ箱庭じゃないか……。

 

ファインディング・ニモ

写真の構図などの工夫しがいは一番あった。だまし絵展的な工夫がなされていたからだ。

網にとらわれたように撮れたり、鳥に咥えられているように撮れたり。

なんかイマイチ気分のいい状況ではないが。

でも子どもがそういったところはしゃいでいたのは純粋に可愛かった。

(このご時世、子どもの可愛さに言及するときは「純粋に」とつけないとね。世知辛ぇなぁ)

 

以上である。

映像系コンテンツは撮影しないでねとの注意書きがあったが、そもそも映像がそんなに無かった。

で、とにかく写真を撮ったのだが、ピクサーが怖くてここに上げるのを控えている。

俺はなんて臆病なんだろう。

ジョン・ラセター、怒らないでね。。。

週刊ヤングジャンプ 2017年21号 新連載「カオリわーにんぐ」感想―ぬるいペット漫画

新連載。出来が悪い。

 

動物を以上に惹きつけてしまうフェロモン「ペロモン」を分泌する特殊体質の新米巡査伊井カオリが動物と人間の共生を実現する都市仲良市で、「ペット安全対策課」で巡査長の三日月と繰り広げるドタバタ日常コメディ。

 

あらすじは上記のようにまとめられるだろう。

 

ここからだけでも伝わるだろうが、この漫画はいわゆる「箸休め枠」を狙っている。

ヤングマガジンでいえば「手品先輩」とか、同じヤングジャンプでいえば「もぐささん」とかの枠だ。

正直ほかにも「結崎さんは投げる」とか「しらたまくん」とか「潔癖男子!青山君」とか箸休め枠はたくさんあるのだからなんでこの枠を増やしたと俺は言いたい。

 

とにかく、「伊井カオリ」(良い香り)や「仲良市」(仲良し)といったダジャレネーミングに象徴されるように、緩くてテキトーなよく言えば癒し系?の雰囲気を読者に楽しませたいという意図からもその狙いは強く感じられる。

 

だからまあ、100歩譲って登場人物の動機づけや世界設定の杜撰さには目をつぶろう。

「医者の口ぶり通りペロモンが世界でも唯一の特殊能力ならカオリさんはもっと有名なはずだろ」とか「隠していたとかの特殊な事情で有名じゃないなら三日月巡査長すぐに受け入れすぎだろ」とか「話や趣味が合いやすいってだけでペット所有率100%の町作るってどんな行政だよ」とか「話や趣味が合いやすいから町を作ったのにペット原因の住民トラブル生まれてんのかよ! 逆効果だからすぐに町を解体しろ」とかいろいろ言いたいことはあるが……。

 

しかし、この杜撰ポイントには目をつぶれない。

それは、「カオリさんが動物を使って犯人を懲らしめる」という部分だ。

 

ドジでときどき辛辣な言葉を吐くが動物が大好きで心根の優しい人間、というのがカオリさんの基本設定だろう。

そんなカオリさんが動物を使って犯人に懲罰を加えるとは何たることか。

犯人は平気で動物に危害を加える人間である。動物が反撃にあって、傷つく可能性もあるだろう。

それに馬鹿なカオリさんは気づかなかったとしても、そもそも動物を武器的に使うというのが動物が好きで心優しいという美点と大きく矛盾するように思われるのである。

ペロペロなめさせるのが罰というのも、「お前、なめられるの罰と思ってたんかい!」と動物好きポイントを大きく下げてしまうしな。

漫画のキャラがムツゴロウさんにダブルスコアで負けてどうする。

 

また、ペロモンの概念もなんかグラついていて飲み込みにくい。

カオリさんというキャラ=この物語の推進力となる設定なのに1話時点で以下のような矛盾点が見える。

・汗に動物が寄ってくるなら、投げた上着になんで動物が寄って来るのか?インナーの方がよっぽどペロモンついてるやろ。

・感情が高ぶったらペロモンがでるっていうけど基本感情豊かなキャラやから常にペロモンででるやろ。ボケツッコミの下りなんか感情グラグラやったけど動物来てないとこたくさんあったで。

 

これはすぐ打ち切りだろと思うが、同レベルの「結崎さんは投げる」も続いているのでヤンジャンは猶予期間が長いのかもしれないという危惧がある。

できればほかの作品に枠を譲ってほしいものである。

 

 

凶悪の振り返り

hadahit0.hatenablog.com

昨日『凶悪』(2013)が期待外れだったと書いた後に

『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の『凶悪』評論回を聴いた。

 

 

ライムスター宇多丸は「5億点-50点」というかなりの高評価で、キャリアと確かな知識を誇る映画批評家と意見が違うことに俺は少しショックを受けたが、元気です。

 

まあどこで意見の相違が生じたかというと、「どのような悪人像を期待していたかあるいは期待していなかったか」という点である。

 

ライムスター宇多丸曰く「卑近な、”ドン・キホーテ”にいそうな悪」が描かれている点を評価していたが、悪のカリスマを期待していた俺はその矮小さにがっかりしてしまったのだ。

 

また、技術的な評価点が知識不足故、見えなかった。

 

とはいえ、俺は俺の評価が間違っていたとも思っていないぞ。

 

やっぱりなんかリアリティないなって部分は多かったって。

 

凶悪(2013)感想 脚色が足を引っ張った

AmazonPrimeで『凶悪』を見た。

TSUTAYAで新作だったころはレンタルランキング上位に入っていたなーという思い出とリリーフランキーの『SCOOP!』でのアウトロー演技が良かったことがその理由。

結果としては予想していた面白そうポイントはそのままあったけど、結構ダメなところも多い映画だという感想だ。

以下、理由を述べる。

 

あらすじ

史上最悪の凶悪事件。その真相とは? ある日、雑誌『明朝24』の編集部に一通の手紙が届いた。それは獄中の死刑囚 (ピエール瀧)から届いた、まだ白日のもとにさらされていない殺人事件について の告発だった。彼は判決を受けた事件とはまた別に3件の殺人事件に関与してお り、その事件の首謀者は“先生”と呼ばれる人物(リリー・フランキー)であるこ と、“先生”はまだ捕まっていないことを訴える死刑囚。闇に隠れている凶悪事件 の告発に慄いた『明朝24』の記者・藤井(山田孝之)は、彼の証言の裏付けを取る うちに事件にのめり込んでいく……。

「凶悪」(amazonビデオ)

 予想していたとおり面白かったところ

①役者陣の演技

ピエール滝とその情婦役 松岡依都美が良かった。

ピエールは特に死刑囚としての抑えた演技が。壁一枚隔てても礼儀正しくても「こいつ殺人犯だな」と思わせるムードがあった。

松岡はうらぶれた人間感がこの作品からいい意味で花を取り去り、リアリティを加えていたように思う。「ありふれたクズ人間がうまいな」と登場時に感じたのだが、結果、思った以上に悪い奴だった。

リリーフランキーも良かったけど、出番が思ったより少なく、『SCOOP!』で見たときほどハマッてなかったように思う。それに、キャラが思ったより薄い……(後述)。

範田紗々のパイオツも映画冒頭にもかかわらず記憶に残ったという意味でよかった。

R15と言えど、AVと一般映画ではやはり違う。人間はやはり社会的にエロを捉えているのだなあ…。

ノワール描写

凶悪というタイトル通り、ピエールらが人を人とも思わず暴力性を発揮する様が、語弊を恐れず言えば楽しかった。

アウトレイジが興行収入1位をたけし映画で初めて獲ったように、暴力性は原始的な楽しさと結びついていることは間違いない。

発明はなかったが、人を殺すときの暴力に「怒り」がないのが特によかった。

作家の朝井リョウが「怒り」とは感情があふれ出したというのが最もわかる状態だと言っていた。

その理論で行くと、怒ってふるう暴力=コントロールできない感情にあかせた暴力ということになる。

その点この作品では基本楽しそうもしくは作業っぽく暴力をふるい、怒りの暴力は舎弟にふるうくらいのものであった。

 

予想していなかったダメなところ

①リアリティの欠如

なぜあんなに適当に殺人を犯しているのに放火を犯したときまで罪が発覚しないのか?なぜやくざの組長にボディガードの1人もいないのか?また、組長に暴力をふるったのにピエールやその舎弟の五十嵐は殺されないのか?

などピエールらに都合よく話が回りすぎな感じがした。

加えてひどいのが山田孝之演じる記者の仕事描写。

あんなにほかの仕事を放置して取材ができるほど記者は甘い仕事なのか?記事をまとめて提出したとたん編集長が味方になったのも特に強い理由がなく、納得いかない。お前、最初に「殺人犯と不動産ブローカーがつながってるなんてありふれた話しすぎて記事にならない」いうてたやないか!パパラッチとして二世議員と女優のキス写真を職務放棄して逃したことのお咎めもないならあの描写の意味が分からない。

新潮社の協力を受けているということで、あえてファンタジー的な記者の描き方にしたのだとは思うが、俺は乗れなかった。

 

②テーマのわからなさ

この原因も、山田孝之演じる藤井記者にある。

藤井の母は痴呆の症状のある状態であり、池脇千鶴演じる妻はその介護で疲れ果てている。しかし、藤井記者は家庭を顧みず、事件にのめりこんでしまう。

そして、ネタバレになるが、ここがメインではないので言ってしまうと、最終的に離婚届を持ち出された山田記者は、今まで抵抗をしていた老人ホームへ母を送るという選択をとる。

この部分とピエール・リリーらの話を結びつけてテーマを抽出すると、「老人とそれを邪魔に思う家族」というのが浮かび上がる。

ピエール・リリーらは老人に保険金をかけて殺し、保険金代や奪い取った土地代をせしめるのだ。それは、老人の家族の依頼によるものだったりもする。

確かにそれと山田家の状況は重なるだろう。

 

しかし、その問題に対する解決策は「老人ホームに連れていく」しか示されないのだ。借金まみれの老人も出てくるのだが、それに対する解答は見られない。そもそも金や地域の都合で老人ホームに入れない家族もいるだろう。その場合どうするのか。

 

ここまで考えて、タイトルを 鑑みると、やはりテーマは「悪とはなにか」だという真説が浮かび上がる。

そうなると、藤井記者の家庭の設定は蛇足に過ぎない。というか、老人に目を向けさせてしまう分、大きくテーマを描きにくくする余計な部分だと思う。

 

しかし、「悪」についてもはっきりと回答が出されたようには感じられない。

 

それは、リリーフランキー演じる「先生」にそこまで「悪のカリスマ」が感じられないからではないか。

 

何せ、冒頭から人を殺し、女を犯し、生きたまま火をつけるピエール滝が「先生」と慕っていた人物である。俺は、彼の何枚も上手を行く極悪だと予想していた。

しかし、実際は単なるサイコパスの金持ちといった感じで、むしろピエールの役より悪さや怖さという面では目減りするのだ。

制作陣は、先生が率先して死体の焼却炉に火をつけたがったりスタンガンを使いたがったりする様子で「悪」を伝えられると思ったのかもしれないが、不十分である。

ピエールは死体をノコでバラバラにし、少し前まで友人としていた相手を縛って川に突き落とすのだ。こっちのほうがよっぽどである。

では、ピエールが真の悪かというと、舎弟や情婦には本当に情をかける人間だという部分がそのノイズとなってしまう。

 

それとも、結局人は悪と善を併せ持っている。悪は人の心の中にあるという結論なのだろうか?

だとしたら、凶悪というには陳腐な結論である。

 

以上、凶悪の感想であった。

実際の話を下敷きにしているということなのだが、

上申書殺人事件 - Wikipedia

こちらのほうが「先生」の得体のしれない怖さは強い。

そういう意味で、暴力団員 須藤(ピエール滝)に少しフォーカスしすぎたのではないか。

藤井記者へのフォーカスも逆効果だったように思う。

つまりは、もう少し元の事件に忠実で良かったと思うのだ。

 

凶悪

凶悪

 

 

 

喧嘩稼業7巻 感想ー戦術と大喜利

木多康昭のマンガ、『喧嘩稼業』(ヤングマガジン)が俺は大好きである。

昨日、7巻を一気に読んだ。やはり安定の面白さであった。

 

喧嘩稼業は、大まかに言うと天才的な頭脳を持つ高校生佐藤十兵衛が格闘技で戦う話だ。

前章にあたる喧嘩商売は少年ジャンプの異端ギャグマンガ『幕張』や『泣くようずいす』の作者である木多康昭らしいパロディ・下ネタ・悪意に満ちあふれたギャグマンガとして始まった。

 

しかし、小学生時代いじめられていた十兵衛がそれを救ってくれた空手師高野と戦う4巻のエピソードから話は大きく頭脳格闘戦に傾いていく。

 

因縁の相手となる不死身の喧嘩師、工藤や卑怯きわまりない金メダリスト金田との戦いはどれもジョジョとバキを同時に読んでいるような満足感を与えてくれる。

 

まぁ実際その2作(とくにバキ)の影響は大きいだろう。

主人公のキャラはデスノートのライトが卑俗になった感じである。

 

喧嘩稼業になってからは「最強の格闘技とはなにか」というテーマを追究する一大イベント陰陽(インヤン)トーナメントが開始された。

アシスタントの情報によるとすでにしっかりとその答えは用意されているという。

 

この7巻はそのトーナメントの1回戦、十兵衛と、天才日本拳法師佐川徳夫の対決の始まりを描く。

 

長い前置き。

 

バトル漫画における戦術とは、大喜利に近いものだと思っている。

通常の場合、戦術とは決して面白くはないことがほとんどだ。

オリジナルの対策を個々人が生み出せたらそんな楽なことはなく、指導者が教えてくれた技のかけ方、外し方をどれだけ鍛錬で自分のものにできるかが見ものとなる。

しかし、漫画ではそうはいかない。

戦術は、効果的である以上に「面白い」ものでなければならない。

この場合の面白さは予想のつかなさと同義である。その予想のつかなさが戦闘上の効果につながる説得力を与えられたとき、漫画的ベストバウトが生まれるのだ。

 

木多先生はさすがギャグマンガだけあってその面白さ=予想のつかなさを生み出す技術=大喜利力が高い。加えて、分析力があるため、戦術に説得力を持たせられるのだ。

彼の有名なエピソードとして「遊戯王高橋和喜先生に頭脳バトルとは何たるかを教えるためカイジを勧めた」*1というものがある。そういったアドバイザー的な資質、漫画を俯瞰してみる能力が喧嘩商売の戦略策定に生かされていると俺は思う。

 6巻もその大喜利的戦術センスが大きく生かされた内容であった。

 

ネタばれは良くないかなと思うのでしないが、

ヒントは「自分より強い相手に一方的にダメージを与えるには?」という問いへの見事な1つの回答がここで出されているということである。

 

 

喧嘩稼業(7) (ヤンマガKCスペシャル)

喧嘩稼業(7) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 

 

*1:※1ちなみにその後、高橋先生は星型のバッジを通貨のようにやり取りするシステムを『遊戯王』に導入。木多先生は「そういうことじゃねえ」と頭を抱えたという。