裸で独りぼっち

マジの日記

映画『キングスマン:ファーストエージェント』ネタバレ感想

キングスマン:ファーストエージェント』を見た。

キングスマン:ファースト・エージェント

今回はさらに悪趣味だよと聞いていたけど、そうではなく、アンチカタルシスだった。
思えば、一作目から根底にあるのはアンチカタルシスな気がする。
『1917~』ばりに仲間を決死の覚悟で救出して塹壕へ逃げ帰ったり、個性的な敵を追い詰めてやっとの思いで倒しても、そこでは終わらせない。主人公が敵や時として一般人を殺害するところを描いて少し気まずい思いを抱かせる。
そうして意地悪にハリウッド式作劇に慣れ切った観客をおちょくるのが『キングスマン』の真骨頂なのだ。

正直言って普通に気持ちよくしてもらうのが好きな、巣で餌をねだるひな鳥のようにワガママな俺としてはそんな要素はあまり楽しめないので、本来的にはnot for meなのだが、それでもケレン味、アクション、ガジェットなどの要素や諸々の質の高さで最新作までやはり見せられてしまったし今後もしっかり追い続けることにはなるだろう。

最近『日の名残り』を読み、『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』を観た。いずれも「英国紳士」の没落や欺瞞を感じさせる作品。それを踏まえ、そもそもは「007」の英国バージョンというコンセプトの『キングスマン』の英国紳士観を考えると、被膜としてはそれは単なるガジェットであり、先に触れたアンチ・カタルシス的視点からすれば「単なるヴィジランテで狂った人間の信じる教義」であり、本作を踏まえれば「戦争」という大きなものの前で脇に置かれた英国人の「ただの」文化の一つとして描かれているのかなと感じた。
侵略されたスコットランド人という、まあどうでもよさげなラスボス。ただ、彼が「Maner makes man」と発言すること自体が、それすらも単なるミームに過ぎないんだよ、という適当であること、アンチカタルシス精神の発露なのかなと思う。

俺は割かし単純な脳みそをしているので、何か「ヒント」を与えられればそれに沿って何とかこじつけや推論はできるのだが、根本となる問いを立てるのは得意ではない。

だかた、これだって「なんか今回は悪趣味でアンチアメリカらしいよ」という嫁はんの不確かな情報から推論した映画評なのだ。

ライターはこうした不確かな情報からおいしい虚無を生み出す能力にたけたもののなる職業だ、というのはおめーが不真面目なだけだよ、という話だろうか。

まあ、上のそれはそうした虚無の一撃である。

 

そもそも、語りどころがあるような話ではなく冗談みたいなスパイもの、でいいじゃないというマシューヴォーンの皮肉な表情が脳裏に浮かぶが、どうだろうか。

映画など、邯鄲の夢の中で見る夢。

パチン、と弾ければ後には何も残らない。