浴槽にて(私は洋服を纏ってカフェに居る)
特に休日は「何をやらないか」を決めた方がいい。
一生懸命休んだり遊んだりしなければ不完全燃焼に終わってしまう。
でも、どれもこれも手放せない。
どうせ選んだところでその場その場のやりたいこと、やらなければならないことに翻弄されて、自分の時間をコントロールすることなど私にはできない。
という、諦念を心地よくも、憎らしくも感じながら、贅沢な娯楽を屠る。
といっても貴族みたいな暮らしをしているわけではなく、入浴剤を飼ったりとか、コーヒーを買ったりとか、少し外食したりとか、スーパー銭湯に行ったりとか、『櫻井有吉の夜会』をデパ地下で購入した2パック1080円の餃子を食べながら見たりとか、その程度だ。
でも、これ以上の娯楽はないし、楽しいことをしたいと思って、実際にしていて、寝坊をしたいと思えば10時に目覚めることだってできてしまう。
もうコップに水はなみなみ注がれており、「満足」と言っていいような状態であるし、確実に幸せである。
ただ、幸せにだって維持費は必要だし、維持費を支払っている以上は完ぺきではない。
では、維持費の支払いを辞めればいいのかというと、当然そうなれば幸せは取り上げられてしまう。
維持費を支払うこと自体が私の幸せの一部でもあり、それを切り離せばきっと大金持ちの一家に生まれたが友達は一人もいない引きこもりのように、満ち足りた不幸に首まで浸ってしまうことになるだろう。