『ブレス しあわせの呼吸』90点
この映画は、疑問と回答の映画である。
いや、テーマがとかではなく、話づくりの方法論が。
主人公ロビンは高根の花の妻を射止めるが、ポリオに感染し、首から下が全く動かせなくなってしまう。呼吸すらも人工呼吸器がなければままならない日々。妻に「殺してくれ」というほどダメージを受けるロビンだが、あたたかな激励と行動力により勇気を取り戻し、家に帰ることになる。
さらに、友人テディの助けを得て車いすに人工呼吸器をつけたものを発明。重度の障碍者でありながら人間らしい生活を得たロビンは、人間らしい生き方を追求し、またその生き方を広めていく。
最初はやたらと展開が早い。
30分くらいで病気になって、そこから立ち直る。
つまり、この映画は難病ものではなく、発明家ものなのだ。
難病に見舞われ、そこから立ち直るまでの心の動きではなく、難病から立ち直った男が、自分の生き方を追求するために日々に発明と変化を生み出す物語なのである。
だから、物語を包む空気は終始明るい。
娯楽映画として気持ちいい。
それはつまり、
とっとと最大の問題が解決してしまい、物語の目的が散漫なものになってしまう(中心的な問題とその解決=テーマがない)ということにもなりかねない。
そこを、この映画は「疑問と回答」のプロセスでクリフハンガーしている。
例えばロビンが家に帰ってから「停電の時はどうするの?」という問いかけがある。
それに対し妻は「手動でやるわ。とポンプを見せる」。
その後のシーンでは、ペットの犬が人工呼吸器の電源を抜いてしまう。<<あわや窒息>>というところで妻が気づき、ロビンは一命をとりとめる。
その後には、ロビンが新聞をみながら、「ジョナサンに薦められて買った株が2倍になった」という。その結果、経済的な問題どうしてるんだという疑問が解決される。
このように、そうはいってもどうなんだ? という疑問を、視聴者が見過ごしているものも含めてどんどん解決していくのである。
そうやって、ロビンの生活の安定度と快適性がどんどん増していく。その過程に、観客も、自分を重ねあわせ、安心感という人間が古来求めてやまない「ご褒美」をもらえるのだ。
最終的に、ロビンは肺が傷ついたために自ら安楽死を選ぶ(かなり年を取ってから)
その選択は、「なんとしても生きるんだ」というこの映画のメッセージと相反するのではないかという疑問さえ浮かばせるビターなものだ。
そこで、この映画冒頭の「この映画は真実の物語である」という但し書きが、胸に刺さる。
これだけポジティブな話でも、現実はままならぬものである。
ただ、本当にロビンは飛行機に乗ってイタリアに行き、息子は『ブリジットジョーンズの日記』のプロデューサーになったのだから大したものである。
10点減点の理由
・ロビンらがモンスターペイシェントだった。
入院していた病院の院長は「2週間で死んでしまう」とロビンの退院に断固反対だが、「警察を呼んでくれ。ここは監獄じゃないか」といい、強行的にロビンらは出ていく。
しかし、今の価値観でしかも我々は結果成功することを知っているからロビンが絶対に正しいと思えるが、普通に当時の価値観なら院長が推定的に正しい。
その院長を部下に「君の祖国では…」と国籍差別的なことをいわせて完全に悪者にしたのはちいと勧善懲悪を安易に演出しすぎでないかと思った。
とはいえ、最後はロビンが安楽死を選ぶというビターな結末があるのだから、それこそがその件への回答ということかもしれない。