裸で独りぼっち

マジの日記

天カス学園と天ぷらのシンクロニシティ

昨日はクレヨンしんちゃんの映画を見たことと、てんぷらを作ったことがハイライトだ。

クレヨンしんちゃんの映画はとりあえず見て損はなかった。

以下、感想。

映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園

前半ずーっと良くて後半感動しつつも話運びに疑問を覚えたのだが、でもそれ自体がしんちゃんの魅力だし意図的だよな…と思い悩み、結果この評価となった。まあ、評価なんて個人的なアレだからどうでもいいんだけど。

どこが疑問点かというと、「春日部探偵クラブ全員と風間君の焼きそばパン目当ての徒競走が一斉スタートであってリレーではない」という点である。最終的に焼きそばパン争いになんでAIが納得するねんとか、あの装置なんだよとかなんでしんのすけたちに勝負を託すことに全員了承してんねん、ということについてはなにもいわない(いってるけど)。それはそういう作品なのだから、ついていけない方がバカである。

後半、「友情」というスタンドバイミーなテーマをしんのすけと風間君の走る姿に託した作劇に涙しつつも俺は疑問に思っていた「テーマを一気に描きすぎて物語が散漫になっていないか」と。

ちうのも、あまりに上のテーマが良すぎた。風間君がかすかべ防衛隊に向けていた想いは手紙の中や最後のセリフでは語られるのだけど、物語的な展開としてもっと深く長く描いてほしかったのだ。ただ、本作のテーマは友情よりももっと幅広く「青春」なわけで、だからシジミちゃんのコンプレックスとか、ボーちゃんの恋とか、まさお君のツッパリとか、いろいろ散漫になるのは完全に狙い通りなのだ。

だからこれはテーマに対してよりも物語としてのエモ度に奉仕してほしいという観客としての俺のワガママである。

それを抜きにすれば、近年の作品でも非常にクレしん映画としてレベルが高かった。
クレしん映画は難しい。

・ストーリーのある劇映画
・ナンセンスギャグ
・子供向けアニメ

上記の本来独立していて互いに矛盾することも多々ある要素のバランスを取らなければならないからである。戦国~でひとつめの要素が突き詰められすぎ、バランスを崩した「クレしん的ではないが明らかに名作」ができてしまったことでスタッフの苦悩はさらに深まり、後者に偏る時期を経て、ロボとーちゃんあたりで揺り戻し、理想のバランスをつかみつつあった。
全体のバランスを取る型はできたうえで、あえてナンセンスギャグに少し傾けたのが本作だろう。それってしんちゃん映画のいちばんかっこいいところだから、肯定したい。
と思いつつ、完璧なバランスも見たかったとないものねだりが浮かぶのだ。

あと、仲里依紗はかなり声優上手だったな。

 こんなこと言いつつ、別にしんちゃんフリークでも何でもないんだけど、でも映画自体にこういう構造があることは間違いないし、それって狙って作れるものではない。

メディアミックスという完全に商業的な手法によってかつてないキメラ的エンタメが生まれたのだ。

だから、野放図にビジネスを展開させ、資本主義を駆動させることには明らかに意味があるよなと思う。

俺が認識押しておらず、なんなら意味ねーとバカにしていることのおかげで俺は飯を食い、感動することができているのだ。

人間賛歌である(そうか?)。

 

夜はクレしんの学園タイトルが「天カス学園だから」というわけでなく、全きの偶然によって天ぷらを作ることになった。嫁はんが夏野菜の天ぷらを揚げたてで食いたいといったからだ。

 

その前にはすた丼を作ろうと思っていた。そして、ラジオ「空気階段の踊り場」を聞いていると、鈴木もぐらがすた丼をスーパーで知らないおっさんに取られそうになったエピソードトークをしていた。何たるシンクロニシティーと思っていたら、嫁藩からのメッセージ。そこでメニューを変更することにしたら別の偶然が生じたのだ。

 

ハロー効果(?)のような気がするけど、それでもこういう偶然性がおもしれー。