うんこを差別する民
うんこみたいにだらだらしてやった。
まあだらだらしているのは相当体調が悪い時の下痢便くらいのもので、これはうんこに対する風評被害なのだが、彼はこうやって業を一身に背負わされる有機物会の不可触民なので、良きこととする。
俺は、うんこ差別主義者。
きみも、うんこ差別主義者。
どうしても外に出る気が起こらない。
寒いし、地面はつるつると滑るし、なんだか眠い。
外食をしても最近は脂っぽいものを吐いてしまうので家で粥でも食っていた方がましである。
その結果ドライ杏を食べながらだらだらと『イングロリアスバスターズ』を見る一日が始まった。
栄光なき野郎どもというタイトルはかっこいいしごろもいいなと思う。
感想は後程。
やっぱりタラちゃん面白いじゃないか。
イーストウッドも好きだし、おれはやっぱりかなり中央に酔った作品が何につけ好きだよなと思う。
夜には漫画も描いた。
とりあえず、16ページを仕上げた。
16の倍数が漫画の基本だと聞いたので、まずは最小単位で仕上げてみたのだ。
しかし、荒木飛呂彦が昔のジャンプは31ページで投稿を受け付けていたと描いていた。
だとしたら、この倍ほど必要だということだ。
確かに尻切れトンボの話になってしまっているのでそれくらいは必要かもしれないが、、、。
漫画家はすごいなあ。
本は買って読め
深夜2時くらいまでやりたいことして、翌日9時くらいに目覚めるペースになっている。
これが俺に適したペースなんだなあと思う。
でも、人と暮らしていたらこればっかりじゃいられない。
ましてや子どもが生まれたりしたら。
今だけのベストペースだなと思う。
朝起きてギターを弾いた。
昼になったら家を出て、今後書く記事のプロットを作った。
プロットとか、以前はいらんやろと思っていたが、やっぱり先方と握りあってやっていくなら必要だろう。
それに、記事の質を追い詰めるにもプロットが必要だと思う。
それを、ドトールで追い詰めた。
夜は一風堂を食べた。
うまいうまいと食べて、帰宅。
待つ間には本屋で買った『ここは、おしまいの地』(こだま)を読んだ。
本は欲しいと思ったらその場で買うべきである。
以前はけちけちしていた。
本は買って読め、家は借りて住めという。
それを体現している。
家ではときどき漫画を描いたり曲を作ったりする。
前は毎日やって実力を蓄えるのだ、と思っていたけどそういう「不純」な目的で進める成果物はやっぱり面白くなかったりする。
でも、力を蓄えている間にやろうという気が潰えてしまうこともある。
やっぱり間を取ることが重要である。
独白するユニバーサル横メルカトルは面白い。
平山夢明のsinkerが欲しいが、amazonで調べると12800円だった。
本は買って読め、、と思っているけれど。
女子どものタラフライ
コロナに次ぐコロナで2021年はいまだにコロナ。
あのコロナら出来たようなことができぬまま二度目の緊急事態宣言。
本日はトランプ支持者が米国の国会を襲撃。
サイコロナらころがって天を向く1の目。
貧乏くじひいた世界でそれなりにしあわせ。
パンばっかり食べる体になってしまった。
どっさりモノを食わないで外食しようと考えると、必然的にパンになるのだ。
スープストックとか、小さいおしゃれカフェとか、腹いっぱいにならんやろ女子供の行くところはと以前は考えていたが、今はああいった店が盛岡にないことが悔しくて仕方がない。
諦めた俺は駅に行く。
駅中の少し高めの珈琲店でタラフライサンドと珈琲を食す。
仕事を進めるには少し気が引ける雰囲気なので本を読んでいたのだが、結果としてはだんだん環境に慣れてがっつり仕事にも手を出してしまった。
人間は慣れる生き物である。
家ではYouTubeの編集を2本。
「速く終わらせたい教」の教えはここでも有効だ。
サクサクと進められる。
あれだけつっかえていた作業を。
また、ジャングル系のサイトのアフィ構成を変える。
ページ遷移時のオーバーレイ広告はうざったくて仕方がないので消した。
代わりにAmazonアソシエイトを活用することにする。
嫁はんは寒い田舎で戦っている。
がんばれ。
『ドント・ブリーズ』映画感想
変化──21エもん
寒い。むつごい。
雪に覆われた道路を滑るように歩く。
実際、数歩ごとに足を滑らせる。アスファルトからまろびでた黄色い点字ブロックが、俺の足を取る障害として立ちはだかる。
(ていうか、目が見えない人はこういう季節は全く外を出歩けないよな。。点字ブロックというソリューションはっきりいってお粗末すぎる。それとも俺が知らないだけで、もっと意味のある補助器具が存在するのだろうか)
などと福祉に気も配りつつ、足を運ぶ。
以前は家から出たくてしょうがないシンドロームだった。
家で仕事なんかひとつもできないのだ。
その後、コロナ禍を経て、(別に家に閉じこもっていても必要にかられれば仕事は進められるものだな)と気づいた。
そして現在は、(家を出たい時は家を出るべきだし、出たくないときは出ないべきだ。その時々でベストな選択をしたうえで、やるべきことを乗っける<できればあyりたいことがよい>のがベストなパフォーマンスを発揮するために重要なのだ)という結論に達した。
かなりあいまいで解釈の余地のある結論だが、この先にまた変化することはあるのだろうか。
──でも、きっとあると思う。
夜は家に帰って、近所のスーパーで買ったカツどんとスパゲッティサラダと昨日つくったパスタサラダを食べて
──盛大に吐いてしまった。
もう俺は賞味期限すれすれの豚肉をたっぷりの衣で挙げて出汁の味でごまかした安価な弁当を食べられるコンディションではないのだ。
胃に対する向き合いかたも変えなければならない。
分かっちゃいるんだが、やめられないノヨ。
──とだだをこねる2020年も終わった。
やっていくのだ。
21エもんなのだ。
自家発電
2021年1月4日は一人。
昨日、嫁はんを田舎町へ送り届けた。
だから俺はうちで一人。
寒い季節の方が少し寂しい。
夏も嫁はんは田舎町に行っていたのだがそのときはあまり感じなかったことだ。
俺の心境が変化しているのかもしれない。
とはいえ、一人生活だってエンジョイできるエンジンを積んでいるのが俺である。
朝は、もちを食べる。
残り少ないあんこを白いもちでこそぐようにして食し、昨日入れた出がらしのお茶をすする。
あんこがたりなくなったので、きなこに砂糖をまぜたものも食べる。
こうやって太る。
昼がやってきた。
家にいるのもつまらないので、外に出ることにする。
1月1日から前作『新感染』から期待していた『新感染半島』が公開されていた。
見に行くことにする。
しかし、待機している間に何をしようか──。
などと考えつつ、家でうだうだして、結局年末に少しだけ声がかかっていた仕事の変身に手を付ける。
正直現状あんまり金を稼ぐためにやりたくないことをする必要がないのだが、一体やりたいことってなんだろう問題が頭をもたげるくらいならやりたいかどうか微妙でも貴重な仕事に取り組んだ方が「ラク」だ。
金は悪くないのだ。
出来るだけさっさと終わらせたい。
昨年、毎日少しずついろいろなことを進めればなんでも最強になれるんじゃないか? と考え毎日めちゃくちゃいろいろなことを達成する目標を立てていた。
実際それは悪い作ではなかったんだけど、「正解」ではなかった。
「さっさと終わらせたい」という気持ちは意外と重要なのだ。
人生は「さっさと終わらせたい」の連鎖で前に進むのである
そういう意味で、仕事というのは素晴らしい装置だ。
俺は自家発電で「仕事」という装置をうまく動かすことができるんだろうか?
という問いを実践していきtai
1年である。
新感染半島 ─映画感想:やや否定
新感染が今年映画館でリバイバル公開されていて、それがだいぶ面白かったので、続編『新感染半島』を見に行きました。
個人的にはそんなに悪くなかったですが、それは前作の期待感に目くらましされていただけで、冷静に見るとかなり病理の大きな2作目だったかもしれません。
詳しい感想は以下です。