ひゃくえむを読んだ
毎日脳内の状態と世界に対する最適解は変わる。
結論を見つけたと思ってもそれは結論ではなく、終の棲家を見つけたと思っても一時的なビバークではなく、譜と周囲に目を向ければうすぼんやりとした暗闇だけが在って──。
毎日オーバーワーク気味である。
しかし、どのワークもライフワークなわけで、調整なんて器用なことはうまくできないのだ。
こんな大仰な書き方になるのは先ほどまで魚豊の『ひゃくえむ』を読んでいたからで、しかし、本当に思っていることでもある。
仕事のために本を買い、趣味のために本を買い、生活のために本を買った。
本を買って読むという行為が子どものころには推奨されるのだけれど、大人になったら1カ月に1冊以上読む人間が半数にも満たないらしい。
人間は教育によって完全にはなれない。
『ひゃくえむ』は陸上100Mでかつて負けなしだったトガシという男が「何のために走るのか」を追い続けて挫折や葛藤を味わうさまを5巻のなかに詰め込んだ物語だ。
正直なところ、作者のポテンシャルに比べて雑な作画といい、妙に性急な展開といい、真剣に面白い物語を作ろうとしつつも爪が甘い部分が多い漫画だとは思う。
その姿勢が、自分に通ずるところがある気がする。
ま、いい。
その終盤で、凡庸な選手へとなり下がったトガシが万年2位の先輩ランナーに走りのアドバイスを受ける場面がある。そこでせんぱいは「現実逃避しろ」という。
現実から逃げ続けることで限界に近づけるのだと。
そのアドバイスを受けてトガシはスピードを伸ばし、日本選手権出場を決める。
──しかし、先輩はつづいて「現実を見ろ」という。
現実を見ながら理想を向き続けなければならない。
相手に対して正対しながら目をそらすような、無理難題である。
しかし、それがこの27年の人生でよくわかる。
人生の感性は矛盾の中にしかないのだ。
オーバーワークしながらワークを調整しなければならないし、周囲のことも気に欠けながら我が道を行かなければならないし、お金にとらわれずにお金を稼がなければならない。
思いがけず真面目な話になった。
さあ「今日」をはじめよう。