物質世界、通年世界、観念世界
かなり生活は安定です。
仕事もなんなくこなせます。
なんならこなせなくても大丈夫です。
親ガチャも人生ガチャもそこそこの当たりと考えることにします。
放任主義の両親のもとで育ちました。
ただ、ボクは放埓とした性格ではありません。
母に公園に連れていかれて、大勢の子どもが遊んでいるのを視認すると、途端に「帰りたい」とシクシク泣いたといいます。
たくさんの人間が苦手なのです。
すこしの人間は得意です。
というか、実のところ、ボクはボク以外の人間をあまり人間扱いしていないのです。
物質世界と通年世界では存在が確認されるのですが、観念世界では僕以外の魂はVR空間のアバターのような存在にすぎず、そして観念世界こそがもっともイデア界に近いと考えています。
物質世界は観念の入れ物でしかなく、通年世界は表面にくっつけられた偽物の梁型でしかありません。
工場内装置に例えれば、筐体が物質世界、その機能が通年世界、それによって実現される価値が観念世界に当てはまるでしょうか。
今飲んでいるコーヒーもその温度や量(物質世界)、あたたかさや味(通年世界)ではなく、それを飲んで感じる「快」だけが必要なのです。
ほかはそのための装置に過ぎません。
昨日の夕飯はアジの開きでした。