【M-1グランプリ2017】3回戦動画感想_落選コンビ(大阪・東京)
ここでは落選した中でも特に注目したい人たちについて書く。
【大阪】
ラニーノーズ「登校」
歌ネタのため、肝心な部分はかなりカットされてる。
女子中高生の人気えぐい。
基本音楽で「あーあるあるw」と思わせるだけの構造なので多くの笑いにはつながりにくいし、落ちたのは順当か。
歌ネタは低評価らしいし(じゃあテツandトモが受かった2002はイカれてたな)。
でもダブルギター漫才という発明はもっと評価されてもいいと思う。営業ではきっとすべり知らずやろうしなあ。
まあだからM-1で評価されんでいいのか。つまりテツトモと一緒!
ZUMA「スタローンとシュワルツェネッガー」
「かまわん、私は脱北者だ」
全然知らなかったけど見たら面白かった。
一周回って自分らの好きなことやろうってなったんやろうなあw
ザ・キーポイント「脱獄」
去年のニューヨークみたいなネタやな。いや芸歴上やけど。
キャラの提示がボケの肝なのもそうだし、ツッコミの突き放した感じも屋敷っぽい。
ニューヨークにはこの方向を維持してほしかった。
普通に面白いネタでキャラ通しのかかわりなど構成も練られている。
後は他でなんらか頭角を現せば準決勝には行けそう。
結局全然追加しなかった。
【M-1グランプリ2017】3回戦動画感想_準決勝進出コンビ(東京)
ハライチ「異星人の連れ去り」
岩井の猫T。ww
乗りボケ漫才を捨てて岩井のサイコキャラで勝負をかけるようになったハライチ。
一昨年は最下位の辛酸をなめることになった。
こちらですごいバズっていることや「お笑い風」という冷笑派お笑いファンのバズワードを生み出したことからも岩井のセンスは完全にばれてきている。
「ちがいます」
今回は澤部が異星人に話しかけられていると思いきや人違いというボケの天丼がひたすら行われる(奇しくも設定は霜降り明星と被ってますね)。ただそれだけなのだが、一回一回ボケの角度や澤部の反応が違うので飽きずにみられるのはすごい。
ただ、俺はやっぱりこれでは優勝は狙えないのではないかと思う。
「私は全人類を支配するためにこの星に来たのだ。そして寄生する人間を探したい。普通の人間ではだめだ。人間を憎んでいる人間、これがちょうどいい。そして私はついに見つけた。幼少期に両親に捨てられ、山奥でオオカミに育てられた人間を憎んでいる人間、そう、12歳の君さ」
「やっぱり俺じゃねーじゃねーか」
これが落ち前のボケなのだが、わかりにくくないだろうか。まずこの12歳の君というのが、澤部が12歳のころを指しているのか澤部以外の別の人間を指しているのかがわからない。文脈から言って澤部以外の人間なのだろうが、だとしたら今までのボケと角度が全く同じなのでわざわざオチ前に持ってくる意味が分からない。アニメやサブカルに対する理解や背景を想像させる長台詞の設定自体が面白みなのかもしれないが、そこまで飛びぬけた世界観でもないような……。
アイロンヘッド「親戚の子ども」
「さっきから不透明なお金増えていってるぞ」
親戚の子供に気前よく小遣いを上げたいと語る毛利。そこから漫才コントに突入するも、事あるごとにお金を渡すクレイジーなおじさんになってしまう。
正直華がない立ち姿だな、と思ったし、M-1チャンピオンになったとて売れる気配がない。←ファン激怒
でもあるあるからクレイジーなキャラクターへ。多彩なボケを見せつつ引用部分のようなセンス系のツッコミも放り込むというのは理想的な形だし、決勝にあがったのもむべなるかな。
まあ俺の判断する華なんて優勝すれば途端に目に見えてくるだろうよ。
ランジャタイ「寿司屋」
天才ランジャタイ。
想像力がある人ほど面白くなるイリュージョンネタ。
俺はあんまり想像力がないので人ほど楽しめていない自覚があるのだが、とにかくほかにないパワーがある。
寿司屋の大将が狙撃してきて、警察に電話をかけても病院に電話をかけても現れるというのはほとんど"IT"的なホラーなのだが、それを笑えるホラ話に昇華できるのが國崎のすごいところだ。ほとんどピン芸人でも成立する世界観の強さだが、そこに尖った伊藤のうるさくないツッコミが加わることでよりゴージャスになっている。
「耳の始まりを抑えるな」
今年の三四郎はいいぞ、と聞いていたが確かにかなりいいな。
一歩も進まないディスコミュニケーション。
こうして並べると天竺鼠と同じく設定に頼らないセンス系のボケばかりで、こりゃゆにばーす川瀬名人もあこがれるわという感じである。
確かに小宮がいじられキャラとして認知されてしまったことで「優勝」という称号がどうにも似合わない芸人になっちまったなという感じはあるが、それでオチの胆石持って帰るところで爆笑が起きればありうるぞと思ってしまう。
あと、ラジオ(三四郎のオールナイトニッポン)を通してどんどん相田が成長している感じがする。先週の電気屋の話も面白かった。
笑撃戦隊「取り調べヒーローインタビュー」
行くだろうと思っていた。
面白いが畳みかけができない構造上、勢いに欠ける大喜利形式のツッコミ先(せん)漫才を捨て、生み出した新たな形式が、採用するにふさわしい発想の賜物だったからだ。
まあ正直完璧に美しく構成されているとは言えない。
ほとんどコント「犯人にヒーローインタビュー」だよね。野球要素ほぼない。
でもやっぱりそこにもっていく手法は芸人が金出して買うレベルの発明だし、早めに罪を認めるという意外な展開も良かったと思う。
東京ホテイソン「水族館デート」
「い~や、クリオネの尺!!」(手を広げながら)
ダークホース。
今回の準決勝進出者の中でも圧倒的に無名ではないか。
ツッコミ能やないか。
すしざんまい式に両手を広げるたけるのツッコミがいちいち爆笑を生む。
「マナティのボルテージ」「ボラの面構え」といわゆる面白ワードのチョイスがはずれなしなのがでかい。ボケ数は少ないがその一個一個の威力がでかいタイプということで、まさにダークホースにふさわしい。
22歳と23歳という激若のコンビ。今年以降の大注目株だ。
マヂカルラブリー「野田ミュージカル」
「って客じゃねーかてめー!」
ボケ野田クリスタルがセンス系でありながら動きのあるボケをするのがパンチ力だ。
つかみでめちゃくちゃウケたのがでかい。
「村上です」
「村上殺しです」
正直なんでそんなにウケたのか解説が欲しい。なにか俺のとらえきれていないニュアンスがあるのか? いや確かに面白いんだが。
奇怪な動きをする人間がすべて客に回収されていき、それさえも客に回収されてい句と思いきや外されて、かと思いきや回収されるという人間の心理の隙をつきまくったネタ。かなりすごい。そもそも動きのおもしろさだけでオモシロクナール3杯はいけるのだ。決勝言ったら全然優勝あると思う。なくてもかなりテレビ露出は増えそう。
ゆにばーす「合コン」
「誰が最強漫才師じゃ」
1つ前にネタを披露したアモーンのフレーズを引用したネタ。はらが自分で考えたのか川瀬名人が入れ知恵したのかは杳として知れないが、こういうことを普通にできるあたり、両人のお笑い能力が高いのがわかる。
自衛隊のくだりはちょっと政治・思想に踏み込んでいるので客席の笑いが引いていた。あそこをテレビに出すとしたらもうちょっとマイルドにすべきかなと思う。
これも複数人を演じる系やね。
ここも決勝さえ行けば全然優勝のビジョンが見える。そしたら川瀬名人ホンマに引退するのかね。
Aマッソ「物欲のレナ」
「村上魂ガバガバやん!!」
正直加納のワードセンスが面白さよりもすごさに偏って評価されている気がして世間は評価しすぎじゃないかなと俺は疑いのまなざしをこの漫才師に向けていた。。
でもこのネタはそれすらも凌駕してきた。面白すごい。
ダブルボケ的なスタイルは捨てたとはいえ、こてこての大阪弁漫才にファンタジーな世界観を持ち込んだということで、笑い飯の「鳥人」を思わせる。これこそまさに新生Aマッソの代表作ではないか。
やばい、決勝で100点ついてまう。
さらば青春の光「はだかかい」
いや俺はだかかーい
コント師ならではの演技力で新しい漫才の地平を開拓してきた東(今は)のジャルジャル「さらば青春の光」。
いやこれそういう芸術なん!?
ただ、そのシステム一本で勝負するきらいがあって、一度構造を理解したらあとは飽きるまでの勝負な部分が欠点だなあと昨年までは思っていた。
しかし、引用部分の通り、”芸術”という視点をそれまでのシステムに組み込むことで、新たな地平が開けた。一皮ズル剥けた。
さらばで芸術といえばKOC2015でまさかの最下位となった「芸術家の苦悩」ネタが思い浮かぶが、このネタにはまさにその「芸術家ってなんかいじられへん空気あるよな」という面白の発見が見事に漫才に昇華されている。燃え尽きた火の鳥からまた新たな子が生まれた時のような感動だ。
これはもう、すごい。
囲碁将棋「死ぬ気で頑張る」
THE MANZAI 2014 で肛門を連呼して茶の間に嫌われた囲碁将棋。
今回は死んだらジャーキーになりたいというネタだった。
こういうギリギリの発想、胸がぞわつくようなキモさの境界線が好きなんだなあ。
俺も好きだからわかるよ。
ただ、今回はギリギリ茶の間にも受け入れられるかなーというラインがちゃんとわきまえられていた。性的なワードでないし、セロいじりなど、ボケも多彩。
正直年齢とか地味さが祟ってあんまり優勝するビジョンは見えないが、自肩はめちゃめちゃ出来上がってるので決勝でもちゃんとウケるだろうなという安心感をここに書き記しておく。
カミナリ「昨日何食った?」
「米のなかにバカが隠れてたな!」
昨年最も記憶を残し、最も上沼恵美子のせいで割りを食ったカミナリ。
これは結構見たことあるネタだな。
見慣れたせいでダークホース感は薄れた一方、勝ちどつき漫才に対する怖さは完全になくなった。題材が食べ物の話題で「石田がまなぶを心配する」という体もある以上、去年よりはえみちゃんも受け入れてくれるのではないか。
相席スタート「好きな人のタイプ」
今女芸人がすごい。
と東京ポッド許可局で言っていた。
TBS RADIO 東京ポッド許可局 2013年8月24日 第21回 「女芸人論」 - TBSラジオ 東京ポッド許可局
その意味が山崎ケイを見るとわかる。
このネタは男にはできない。
下ネタでもない。自虐ネタでもない。さりとて面白い。
女芸人NO.1を決める「THE W」も始まったことだし、この勢いで決勝に行く確率は高い。
↓去年の感想
ニューヨーク「運命の出会い」
「クソ女が」
著しく吉本にプッシュされており、著しく芸人にもファンを持ち、著しく男女ともに人気のあるコンビ、ニューヨーク。
「イタイやつあるある」にとどまっていたネタが、昨年複数人を嶋佐が演じ分けるドラマ系のネタに進化し、今年は屋敷の畜生視点ツッコミが際立った。
「そんな女本読まへんわ」
お笑いファンはみんな性格が悪くてこういうネタが大好きだ。
なんとかこの視点のツッコミと、昨年の複数演じ分け型嶋佐漫才コント劇場を組み合わせられないか。それができたとき、時代とニューヨークが一致すると思う。
人気があるのにここまで尖った視点を持ってポップでいられるのは、まさに才能としか言いようがないのだから。
南海キャンディーズ「山ちゃんの結婚式」
「これかあの有名なストレスって」
「俺の頭に「裁判」の二文字が浮かんでるよ」
「不毛な議論」で失敗したといっていたネタだ。でも、かなりウケてるやん!
さすが山ちゃんである。お笑い意識が高い高い。
まあそうじゃなきゃこのキャリアで地位も人気も築いた人がM-1には出ない。
これまたラジオで行っていたことだが、今回のネタは熱心な不毛な議論リスナーがメモを取って改善点を指摘してくれたとのこと。
たしかに清水良太郎ネタはちょっと鮮度がありすぎ&しずちゃんのキャラにしては皮肉利きすぎで客が「笑っていいのかな…」となっていた様子。
そこが改善されて準決勝突破となると、これはもう止められない。
俺は何を隠そう『山里亮太の140』で「やっぱり山ちゃんはすごい」と感動したばかりである。決勝に行ってほしい。
和牛「困ってる人を助ける」
ど真ん中、165kmのストレート。
昨年銀シャリとしのぎを削り、惜しくも2位となった和牛。
優勝候補ど真ん中というお笑い的にはやりにくい状況の中、また新たな上質なネタを生み出してきた。
漫才コントコントコントとでもいうべき、映像的なネタだ。
理屈っぽい屁理屈漫才とはまたベクトルの違う、水田の演技力でそこにない物語を、そこに生み出す。もはや新作落語の様相である。
漫才コントという枠内でしっかり物語的な笑いを成立させる手つき。日本一美しい「もうええわ」の使い手川西が相方ということもあり、技術点はもはや満点以外はあり得ない。
全体の総括
こうしてみると、ほんとに「複数演じ分け」のボケが今年はブームだなという感じがする。
2人の不良の立ち話。という漫才の世界は、もはや何人もが誕生可能な話芸のスタジアムと化した。
俺が「好み」とか「このネタが決勝で見たい」だけでこの中から10組選ぶとすると、以下の通りです(順不同)。
1.天竺鼠
2.ジャルジャル
3.からし蓮根
4.ランジャタイ
5.三四郎
6.東京ホテイソン
7.マヂカルラブリー
8.ゆにばーす
9.Aマッソ
10.さらば青春の光
実際のところは今までの功績とかいろいろな要素が加味されて「スーパーマラドーナ」「和牛」は上がってくると思うけど。
あー面白くなってきた。
12月3日が楽しみですね。
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【M-1グランプリ2017】3回戦動画感想_準決勝進出コンビ(大阪)
見取り図「授業参観」
「シャクい彼女紹介される」ネタでおなじみの見取り図。
毎年おんなじネタのイメージがあったが、今年は新作。
盛山の甲高い鼻声から繰り出されるツッコミが特徴か。
ネタは参観日で息子がぼけ、実況ツッコミを親父が行うという漫才コント。
「いじめ殺されるぞ」とか「童貞」とかTV的にはややデンジャーなワードは本番では丸められるのだろうか。
盛山「ヤーバパパいうたよなあ」
リリー「いうてない」
盛山「私が言いましたすいません」
このツッコミがボケに侵食する部分で爆笑がとれたのが審査に大きく影響したのではないか。
「1人で2役も演じきれないんで、辞めました」
ボケが1人何役もする漫才コントが今年は目立った気がする。スーパーマラドーナが昨年残した爪痕をたどったコンビが多いのだろうか。例えばコマンダンテとかトットとか。なぜかちょっと上品な漫才師に多かったなあ。
2人が無人島に漂流した…と思いきや何役も出てくるというこの設定。何役も演じきれないという言葉は、複数役を使いこなすコントが多かったからこそ、メタ的ではあるがそれでも確かに審査員の評価を上げたのではないだろうか。
セルライトスパ「レンタカー屋さん」
B型プリントのTシャツの主張よ……!
防犯ぶさーをかき消すあらびき芸でおなじみのセルライトスパ。
レンタカーというやられてそうでそこまでない設定や大須賀のほんわかするボケが良い。
「なんで リンゴ狩りに行くと思てん」
最終的にちょっとバイオレンスなボケを入れたのは「悪手かな」と思ったけど悲鳴も上がらず乗り越えられた。ていうかKOCのしずるみたいな悲劇はM-1ではないんやね。やっぱりコントの方が入り込んでしまうのかね。
さや香「歌のお兄さんになりたい」
『新しい波24』で1軍(霜降り明星・フースーヤなど)ほどはねてはないけどそれなりの存在感を示した「さや香」。
ここでは「強い気持ち」ネタではなく、別のネタで攻めてきた。
形式はいわゆる「極端な無知系」。ダイアンの「寿司」とか「サンタクロース」とかが代表的。クリームリスナーなら「はんぱねぇ質問」を思い出すと思う。
今回は歌のお兄さんを知らない石井に歌のお兄さんを教えるという展開だったのだが、それに対しいちいち新鮮な反応を示して喜ぶという「幼児の視点の再発見」という面白さの提示が「極端な無知」に+α以上の価値を与えていた。
「この手を上に~」
「おもんな!」
のはずしのタイミングやその後の動きも見事。拍手笑いが起きていた。
ミキ「前後入れ替え」
ABC新人お笑いコンクールくらいから急速に露出を増やしてきたミキ。
兄昂生のわめきツッコミが持ち味。
で、その持ち味を最大限に生かすため、逆ハライチともいえる手法を今回は発明してきた。
「スープカレー」を「カレースープ」と呼ぶ亜生。昂生その2つは全然違うと指摘してもピンとこない。そこで、様々な例を出して説得しようとするが……。
動画を見ればわかるが、昂生は自分で振って自分でノッて自分でツッコんでいる。亜生は「ようわからへん」というだけだ。
正直この掛け合いのなさが「ダースベイダー」などの代表ネタと比べてものたりなさはあったが、新しいやり方をパワフルに主張してきたという点ではやはり審査員も上に上げざるを得なかったのであろう。
センスがありすぎて売れ切らない芸人天竺鼠(川原)。
「押したからこうなったやないか、押されなかったらこうならなかったのに」
かつてM-1でも披露したおなじみのくだりも披露しつつ、より自由なボケを取り混ぜたリミックス版となっている。
オーソドックスなボケツッコミのスタイルだが、それゆえに強い。
ボケの振りとしてこのフレーズを使える当たり、まだまだセンスが古びていないということを客も演者も共有できているということで、なんとまあ。
こりゃ強い。
かまいたち「心理テスト」
KOCとM-1、全体未聞の連覇が全然ありうる総合力最強芸人のかまいたち。
バキでいうとバキぐらいパワーもスピードもある。
「これで何がわかんの?」
心理テストに対して不自然なほどの「正解」を出す山内。それに対し濱家は「絶対答え知ってるやろ」と疑いながらも問題を出す。
かまいたちの漫才の一番面白い部分の核には「ごまかし」がある。
昨年準決勝で披露した「UFJとUSJ」の間違いをごまかすために延々と粘るネタや3回戦で披露した「タトゥー入れろ」のネタもそうである。
バレバレのごまかしを屁理屈をこねて主張する人間(ボケ)とそれにうんざりしつつもちゃんとツッコむ人間(ボケ)。結構こういう場面は日常でもありうるので、無理してボケてる感がなく、飲み込みやすい。
ネタの粒ぞろい間でいえば大会随一なので決勝に行ったらきっと3位以内にははいるであろう。
アインシュタイン「オラオラな男」
ケンコバのやってるラジオ「TENGA茶屋」のアシスタントで、顔面最終兵器稲田を擁するアインシュタイン。
「S・U・U・K・Y・A・D・E、すっ・きゃ・で」
稲田は結構おらついた男とかいきった男のキャラを演じることが多い。見た目とのギャップを狙って、だろうか。また、今回はオラオラ系ながら彼女にメロメロな男というキャラにすることで、時代の流行である「人を傷つけない笑い」になっている。そのあたりのクレバーな計算ができるのがブサイク芸人ではなく漫才師として評価を集めていることや裏腹にタレント的な売り出し方をされにくいことの原因かもしらんなあ。
ジャルジャル「決めポーズ」
「はいどうも、ジャルジャルで~す」
ジャルジャルの新しいシステム漫才。きっちり新しいものを作る、という観点で構築されていながら、しっかりくだらないのがまさにちゃんとしすぎてないという意味で完璧だ。
ジャルジャルは「自分たちの素は面白くない」「普通」と認めているので、どうしても漫才もコント「漫才師」となる。そのあたりの欺瞞が鼻につきそうで今回はつかなかった。まあ漫才師としての彼らをすっかり見慣れたせいかも。
一昨年の決勝は2本ともシステムが同じだったことが最終的に足を引っ張ったので、今年は別のネタを用意できてるかが勝負所になるやろなあ。去年の敗者復活でやってた唇ブルブルはおもろいけどきっと駄目だと思う。
霜降り明星「宇宙人」
はい、若手ナンバーワン。
ハイスクール漫才ですでに高い評価を得ていたこととか粗品がせいやを待ったエピソードとかべしゃり暮らしを地で行く感じがそう感じさせんねやろな。
主人公感というか。
結構前からあるネタよくやってるネタだけど、何度もやることでブラッシュアップされて新たな要素が組み合わさっているようだ。ユーキャンのくだりとか。
「こいついるかいらんか上でもモメとる」
絶対ウケるここを最後にもってきてきっちり拍手笑いをもぎ取る構成の妙はさすが。
とろサーモン「飴と鞭」
「お前を迫害してやろうか」
昨年あたりがピークだった「もうええわ」崩しブームの先駆けだったこともあり漫才界の裏エースであり、毎年の優勝候補感がエグイとろサーモン。
今回は久保田が1人何役をこなすタイプのネタなわけだが、自分たちに期待されているものを完璧に把握したそこはかとないクズ・アングラ感がたまらない。
引用したようなセリフがまさにちょうどいい塩梅でニヤリとさせてくれるのだ。
久保田はラップで、村田は役者でかなり飛躍したにもかかわらず漫才にここまで力注げるとは。実はちゃんとした人たちなんじゃないかと思ってしまうほどである。
結構「営業ネタかな」と思うくらいわかりやすいボケが多い。
「おだまりッ」(鞭を叩く)
「小田真理(オダマリ)さんですか」
とか。
「将来の夢は?」
「それは、お嫁さんだけど」
「冷めるゆうねん」
とか。
お笑いファンは認めなさそう。
でも「動きで見せるボケ」「言葉のボケ」「キャラのボケ」と何せボケが多彩で隙がないから審査員としては点付けたくなってまうんやろなあ。
からし蓮根「転校生」
すごいセンスある薩摩初のスーパールーキー。
特に変なこととか革新的なことはやってないけど(薩摩弁ツッコミは新しい)とにかくセンスが良い。
「ぜんぶ涙腺にもどした」
「人間と遊んだことない?」
「クソげーやん」
フレーズとか発想として「あ、これが120点」と思ってしまうものばかりだ。
これがいわゆる努力では身に付かない「お笑い能力」なのだろうなと素直に感心してしまう。決勝に行ってほしい。
ハロウィンにボブ・マーリーのコスプレがしたい
所属しているバンドサークルでボブと呼ばれている俺は、ここは1つ音楽サークルなのにあやかってレゲエの神様ボブ・マーリーのコスプレがしたいと考えている。
これがミンストレル・ショーにならないか心配。
ミンストレル・ショーとは
ミンストレル・ショー(minstrel show)とは、顔を黒く塗った(Blackface)白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと。
ミンストレル・ショーは、いまや人種差別を助長するものとしてアメリカのエンターティメント界ではタブーとなっている。
ラッツ&スターとももクロが黒塗りメイクの写真をTwitterに挙げた結果大きな批判を呼んだのは記憶に新しい(そこそこ)。
でも別にやってもいいだろという気もしている。差別の歴史を経験した、もしくはそういう背景を持つ黒人が俺の仮装を果たして目にすることがあるだろうか? よしんばどこかで見つけたとしても、そこからほんの少しでも不快感を感じるだろうか?
というのが第一自意識の主張である。
それに対してメタ的な第二自意識はこういう。
いやいや、少しでもそういう可能性があるにも関わらずそれをやる、ということがすでに差別の歴史を知らないということなんじゃないか? ももクロの記事でも言われているように、「そんな意図はなかった」という言い訳は被害者には通用しない。そういった場面で「まあそんなことはないだろ」と可能性に欠けてしまうこと自体が不謹慎だろ。
それに対してさらにメタ的な第三自意識が言葉を返す。
いや、大体これは黒人のコスプレじゃなくてボブマーリーのコスプレですから。ボブマーリーといえばレゲエの神様で、多くの人の尊敬を集めているのは世界的に知られた事実。そんなボブマーリーの真似をすることはそれすなわち真の意味でのリスペクトでしょ。前述のとおり俺はバンドサークルに入っているギタリスト。ボブマーリーのコスをして何が悪い。じゃあ、マイケル・ジャクソンのコスプレするのもいかんのか? アースウィンド&ファイアーもか?
第四次意識<お前ボブマーリーの曲ほぼ聴いたことないやろ
このような、堂々巡りが止まらない。
サークルではウケたい。
でも無意識に差別をするような平和ボケクソやろうだとは思われたくないしそんな振る舞いはしたくない。
そもそもこれ、おもろいかなあ???
ドーランとドレッドのウィッグを前に、俺は自問自答している。
バンド界のネアカ風潮とアカシックの進化について
カルチャーは流転する。
一昨年あたりから、バブル期に流行したプロデューサー巻きやペアルック(双子コーデ)が再びおしゃれに仲間入りした空気は、ファッションに疎い俺でもうっすら感じ取った覚えがある。
音楽も80・90年代音楽の再解釈的なものが世界でも日本でも流行っているだろう。
例えばBuruno Marsとか、星野源とか、シティ・ポップ勢とか。
その一連の流れと同じく、バンドマンのキャラクターも流転する、と思う。
90年代から10年代までのロストジェネレーションは自然体でダウナー、終わらない日常を歌う感性過多なやつ、がバンドマンのソーシャルイメージだったと思う。
それ、終わろうとしてるよね。ていうか最近終わったよね。
セカオワあたりが分岐点となってバンドマンは”たのしいときを提供する”バンダイみたいなやつの主戦場となってきている。
Mrs.Green Appleとか、ヤバイTシャツ屋さんとか、夜の本気ダンスとか、最近の若手バンドマンはもちろん感傷的な曲とか世の中への怒りを歌う曲はあれども、究極的には人生を肯定してる感すごない?
で、そういう流れに対して結構退廃的な世界観が現存してるのが女バンド界だと思うのだ。
ミオヤマザキとか、sylph emewとか、vivid undressとか。
「いやまあ、メンヘラ向けなだけだろ」と言われたらそうなんだけど本質的な人生後ろ向き感に需要があるマーケットはそこだけなのかな、と。
で、アカシックもそういうバンドの一種だなーくらいに思っていたのだ。
でも違う、と最近反省した。
何が違うかっていうと、それはつまり、”aiko”成分である。
aikoがMステで言及して一躍再生数が伸びた曲。
早口で語りっぽさを混ぜた譜割りの詰込みとかは大森靖子っぽいんだけど、階段状に上下するメロディラインだったりAメロの6度を使ったコード感だったりがaiko的なポップ感を付与している。
で。
それがこのバンドの「対象」を大きく広げていると思う。
やっぱり楽曲にポップさやメロディアスさが増すと、バンドっぽさが薄れる代わりに、豪華になる。それが過ぎるとコバケンサウンドに代表されるいわゆるJpopになってしまうのだが、そのバランスがちょうどとれたバンド楽曲は、誰でも「お、これは」と耳を向けるような大衆性を獲得できるのだ。
最新アルバムのリード曲の1つがこれである。
事変っぽい。
主にguitarとピアノの音色のせいだとおもうけど。
注目したいのが2:30くらいからの間奏で、ポップになるとともにバンドとしてのグルーブも増している。だから間奏部分でもどれか1つの楽器がなっている、というよりは楽器全体が「曲」として音楽全体を形作っている感じがする。
このころだとまだ演奏力がないっていうのもあって、2:07くらいからの間奏でもキーボードが目立つところはほかの楽器は引っ込んで、ギターが目立つところでは他の楽器は引っ込んで、となってしまっている。
要するに、ああ、これはメンヘラ軍団の仲間ではなく、もっともっと一般性を獲得していくバンドだぞ、と1リスナーとして俺は思ったのであった。
『スティング』(映画)感想 77点 名作ってこういうもの
いわゆる超名作超王道コンゲーム映画『スティング』を1.5回見た。
なぜ1.5回かというと、1回目は途中で寝てしまったからだ。
勿論夏にしては過ごしやすいその日妙に早起きしてしまったとか、
昼下がりの微妙な陽光に眠気を誘われてしまったとか
環境面での理由が大きいのだが、
それでも寝てしまったということで
やや退屈に感じてしまっていた部分はある。
”スティング的”なものがあふれた世代
スティングの影響を受けて生まれたであろう作品はこの世にごまんとある。
いわゆるどんでん返し系――『ユージュアル・サスペクツ』(1995)とか、『シックス・センス』(1999)とか、『SAW』(2004)とか、全部『スティング』の遠い子孫と言っても良いのではないか。
それらでさえ10年も前だ。最近で言えば『スプリット』(2017)とか『22年目の告白 私が殺人犯です』(2017)とかも…。もはやこれでも怒る人がいるくらい慎重に扱わなければいけない部分。。。
で、昨今の風潮としてカット割りの細かさで観客を飽きさせない、というのがある。そういうものと比較すると、スティングは長回しが多いし、シークエンスの切り替わりも小窓がシュルシュル小さくなったり、画面が横からスクロールして入れ替わったり、古典的(当時は最新)の手法ばかりだ。
”スティング的”なものの世代
勿論だからと言ってスティングがつまらないわけではない。
そもそもつまらなかったとしても全ての源流の1つとしてリスペクトされるべきだろう。
ちょうど今度新作が発表される『ブレードランナー』が今見ると多くのSFのあるあるシーンの詰め合わせに感じてしまうように。
ライムスター宇多丸がダイノジ大谷のラジオで映画『キサラギ』の問題点を解決している理想のモデルとして『スティング』を引き合いに出していた。
ダイノジ大地:どうしても、最後予想もつかない大どんでん返しとかそういうのはもう大好きですよね?そういうのが映画のだいご味なのかなと。
宇多丸:例えばスティングですよね。予想もつかない大どんでん返し。
ダイノジ大谷:最高じゃないですかスティング。
宇多丸:スティングは何度見ても面白いと思うんですよ。だからそのパズル映画(予想もつかない大どんでん返しだけが魅力の映画)って何度も見る気になったりするの? みたいな・
ダイノジふたり:あー
宇多丸:いったん説いたジグソーパズルをもう一回やりますか? みたいな。
ダイノジ大谷:あとやっぱわかるのがさっき言った洒落とかおしゃれとかいうけど俺やっぱそっちの映画はおしゃれじゃないけどスティングはめっちゃおしゃれだと思う。
動画の24:35~
まあ全面的には首肯しかねる((そもそも一度しか見る気にならないパズル映画にも映画的価値はあると思うし、ドラマが描けていなくてもそれはそれでいいのだと思う。ちょうど綾辻行人に代表される新本格ミステリが、松本清張に代表される社会派ミステリと比較して「人間が描けていない」と批判されたが、いまだに多くの支持を集めているし、それ自体が小説の地平を広げたように。が、確かに「何度も見れる」「おしゃれ」というのには俺も同意だな、と思う。
この映画をどんでん返しだけにしない工夫がどこにあるかと考えると、ひとえにゴンドーフというキャラの魅力ではないか。
ポール・ニューマン演ずるゴンドーフのキャラクターはいわゆる絶対的な師匠。主人公フッカーが家を訪れた時には飲んだくれていたが詐欺の実力やトランプの手さばき(実際はニューマンではなくプロの手の差し替え)には絶対的な実力がある。
ジョジョ1部『ファントムブラッド』のツェペリ男爵みたいだよね。
フッカーよりもこのゴンドーフのキャラクターが作品を引っ張った。
だからこそ、wikiで紹介される順番もゴンドーフの方が先なんだろうし。
逆にいうとゴンドーフ以外の人間はもう少し描いてほしかった気がする。
フッカーに金をだまし取られたロネガン一味の下っ端なんて「お、こいつが主役か」と思っていたら開始20分で殺されたからね。
村上龍『69』を読んでる途中の気持ち
村上龍『69』を読んでいる。
彼女にお前なら好きだろうといわれたからだ。
小学生時代の俺は村上龍を知らず、
中学時代の俺にとって村上龍は原題が「クリトリスにバターを」という小説『限りなく透明に近いブルー』を書いた癖に権威づいている人で、
高校時代の俺にとって村上龍はダブル村上の目の下が黒くてオードリー若林が愛読しており父の見るカンブリア宮殿で最後に感想文を書く司会だった。
要するに、周辺知識ばかり増えていったのだ。それなのに、俺はこれまで村上龍の作品を読んでこなかった。人並み以上には本好きであるあずにもかかわらず、だ。
何となく手が伸びなかったのは周辺知識を集めすぎたからかもしれない。タグ付けするほどに村上龍の幻想が俺の中で膨らみ、それが破壊されるのも肯定されるのもうっすらと怖いような気がしていた。
現在文春文庫版の『69』を110ページ。
四人の刑事が僕の家にやってきた。
ここまで読んだ。
彼女の言う通り、主人公の持て余す割にはあまりに実態のない自意識と性欲と饒舌な言葉は俺の好みにピタリと合う。
そんな部分が見抜かれていたかと思うと恥ずかしい限りだ。