バズマザーズ「ムスカイボリタンテス」感想 #0 全体
俺は「中二病じゃない! もうちょっと先をいっとるわ」と思うが、自作の詩にメロディを付けて聴衆の前で発表するという時点で、そもそも、表現とは中二的なものだ。
しかし、しかしである。バズマザーズは、明らかにそれを自覚していることを前提に成り立っている表現なのだ。
誰にも奨めなくて良いよ お前が百万回聞いてくれたらそれで良いよ
何かの間違いで売れまくれムスカイボリタンテス。
— 山田亮一 (@buzzmothersymd) 2018年7月4日
ラズマタズの新譜かなんかと間違われて売れまくれムスカイボリタンテス。
俺を億万長者にさせろムスカイボリタンテス。
そのお金でまた新しいアルバムを作らせろムスカイボリタンテス。
頼んだどムスカイボリタンテス。
――矛盾した言葉。
確かにそれは間違いない。ただ、双方が真実であるのは確かだと思う。
『遺書』や『太宰』を持ち出すまでもなく、矛盾した発言は天才のお家芸だ。そして、それは実のところ矛盾ではなく、真実が2つあるというだけである。
俺の知らない遊びを知ってそうで
嗚呼なんか急に虚しくなる『猿の学生』(ハヌマーン)
誰も海の広さ等、漠然としか知り得ないし
井の中一生を終える蛙程、自分と向き合う事もない『敗北代理人』
俺の知らない遊び方を知っている奴らにむなしさを覚えた季節から、
誰もすべてを知り得ないという人生をかみしめる季節へ。
山田亮一の詩の世界は「俺」から「俺を含む世界・人生」へと広がっている。
Twitterを始めたり、ゆれるのあみと活動(フタリエッヂ)を始めたり、
作詞講座を開いたり、加藤マニにPV制作を頼んだり。
そういうのって泥臭さが抜けていくようで(普通のバンドマンみたいで)いやだなと思う嫌なファン心理が心に浮かびそうで、浮かばない。
どんどん自由になって行く。
ムスカイボリタンテス=飛蚊症は、加齢とともに目の硝子体が委縮することで生じる(生まれつきもある)。
感性が鈍くなっていく 本当はそれが何よりも怖い
『恋文は下駄箱の中』
それは芸術家としてあまりに切実な詩で、空で口ずさめるほど頭に残る一節だが、
それすらもやはり片面の真実でしかない。
目が委縮しようが、感性が鈍くなろうが、続いていく。
人生とはまだ呼べないほどの何かが。