クズの女神様
昨日はイクラをいっぱい食べた。
今も胃が多少しくしく痛む。
今日はワクチン一回目をうちに行くというのに血圧が上がってしまった。
それでも、イクラをいっぱい食べた。
俺は毎日動画を見ることで岡田斗司夫を信奉しだしているので、もちろんスマートノートも読み、その内容を実践する。
(とあからさまに書くことで相対化を図り、本当に信奉をしている、ような状態から距離をとろうとしているのだ)
昨日の行動5つをメモしてそれぞれに点数をつけると最も高かったのはイクラを食べた言だった。
しかし、昨日の夜、嫁はんと中島らもの詩をめぐる議論の末、俺は恋愛ができない人間で嫁はんはクズ人間に惹かれる性癖で、結婚は恋愛と本来的には結びつかない制度なのだから22世紀に向けて人類は分けて考えるようになった方が良いという知見が得られたのもまた良いことではあった。
中島らもがわかぎゑふにあてて書いたという「クズの女神様」という詩である。相手を好きでありながらクズと称し、性格が悪いと糾弾し、僕の心臓の一部をえぐり取ってそこらの野良犬にやってしまったと形容するその表現。
そういう相対化するとダサい酔ってる情熱に嫁はんの感情はどうしても惹かれてしまうのだという。俺が「そんなの非モテムーブじゃん」というと、やや違うと嫁はんは反論する。
だが、その違いが上手く言葉にできない。
俺は恋愛をしない代わりに、物事の因果関係にはただならぬ興味がある。
ので、そこを追求するも、結局息をするとか、腹が減るとかと同じレイヤーに恋をするがある人間とは、話がつながらない。
ただ、わからないということが分かった。
それだけでも有意義ではあると思うのだ。