裸で独りぼっち

マジの日記

『言の葉の庭』 感想 天気の子の前哨戦 ※ネタバレ

Filmarks感想

天気の後に視聴。
「秒速→ほしのこえ→君→天気→言の葉」の順にみている。

天気の子と同じモチーフが随所にあってこのタイミングで見てよかった。

天気、それも雨の日を特別に描くシーン。
螺旋階段を駆けて誰かを追うシーン。

結局ほのかな未来の可能性を感じさせる終わり方なわけで、『君の名は』のときに「こんなの新海誠じゃない!」て言うてた人よ、この時点で暗示されとるやないかと思う。

雪野先生とその元不倫相手?の先生の声があまりあっていなかった気がする。雪野先生はかわいい声すぎるし逆に元不倫相手はシブすぎだろ。

 あんまりアニメ映画に明るくないので適当なこと言うて怒られたらそれは俺が全面的に拙い。でもいいだん。

 

結局俺は「作者の気持ちを考えなさい」の視点で作品を見る傾向にあるなと最近思う。

なので憶測多めになる。

がそこは大目に見てもらうとしてこの時点の新海誠は作りこまれた悲劇性からの脱出を図っていたのだと思う。

俺は、よくわかんねーけどよ、この人の作品はその報われなさとか切なさで多くの人のあるような内容なトラウマを抉り出しつつ、その胸の痛みをエモさに変換してヨガらしてきたわけだろ?

どうしてそういう作品を作るかというと、決定的に“ハッピーエンド”への不信感があったと思うわけだ。

童貞の恋(≒純粋な恋)は、報われない、基本的には。

その思いがあるからこそすれ違いの結果うまくいかない二人を描くことがリアルだったわけ。

しかし、その結末こそが持ち味として受容されてしまった。

そうなると、それを描き出すことは観客を喜ばすための演出になってしまい、すなわち“リアルではない”。

そこで新海誠は主人公に想い人を嫌いだった、といわせ、しかしそれでも現実的な離れ離れの結末になり、とはいえ永遠の別れというわけではない?というほのかな希望を匂わせる結末を用意したのではないか。

 

そのあと、『君の名は』で、リアルであることへのこだわりからの脱却を果たし見事大衆の心をつかむわけだが。

 

これは完全なる憶測である。しかし、憶測や陰謀論はとても面白い。

主題歌の作曲が大江千里なのは千里の道をはなれた恋人ということなんだ。

秦基博が歌っているのは春秋戦国時代の秦の15年での滅びのはかなさを重ねてるんだ。

きっとそうだ(そんなわけない)。

 

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