帰ってきたヒトラー 90点 思想と試みのアウフヘーベン
アマプラにて視聴。
メタのメタのメタ。(※ネタバレ)
この映画を観ること自体が映画中のヒトラーを受容することだという構造がものすごく意地悪でなるほど段違いのブラックコメディ。
日本だと帰ってきた東条英機だろうか。でも、帰ってきてもみんな気づかなそうだな。移民に対するヘイトと不況に対する不満、政治不信を利用してナチズムを浸透させていくのは日本でも全然ありうるわけで、恐ろしい。民主主義の限界が見えた時代の、2014年の作品であり全く古びていないという。。後半どんどんヒトラーとあう怪物ホラーとかし、実にホラーらしい結末を迎える。
帰ってきたムッソリーニはほぼ同じ話になるんじゃないの?気になるなあ。
来週、続編ともいえる帰ってきたムッソリーニが公開されるわけだけど、これほど続編が作りにくい話もないんじゃないか? どうなってるのだろうか?
視聴者の感想が軒並み「怖かった」になる度ではホラーの比ではない傑作ブラックコメディ。
ストーリー
アドルフ・ヒトラーは復活した。目覚めて最初に言葉を交わしたのは子供。「ポーランドへの進行は成功したのか?」
最初はセルフィ―の対象とされ馬鹿にされるだけだったヒトラーだが、視聴率アップをもくろむテレビ局を利用し、徐々に自身のものまね芸人として認知度を高めていく。ヒトラーの支持者は、増えていく。
思想
最初はばりばりのコメディ化と思ったという感想が多いが、さすがに評判を聞いてから視聴したのでそんな感想は抱かなかった。ヒトラーのお手並み拝見、という目線で画面を見守る。
しかし、ここまでドキュメンタリーチックな映像の作り方だとは知らなかった。
実際に街へ飛び出し、ヒトラーとしてネオナチや市民の声を聴くヒトラー。にやにや顔で写真をねだる市民。子供と一緒に手を振る親子、中指を立てる老人。とまどうネオナチ。
中指を立てる老人がどうにも感じ悪く見えてしまうのだが、実際のところ彼らが“正気の”反応だとしたら、狂気の集団たる我々は恐怖に身をすくめるほかない。
我が地元奈良出身の楳図かずお氏がしるした傑作入れ替わりホラー『洗礼』のラストにて「狂人がほとんどの世の中において、狂人出ないものは自身が狂人でないといえるのか?また、今がそうでないといえるのか?」というセリフがある。
それは時たま思い出すことで。レミングの集団自殺のごとく日本が戦争や財政破綻等の何かに堕ちていこうとしても、一緒にザクロになるだけという諦念こみの恐ろしさが俺の中にある。
試み
もっとこの作品でほめるべきは作品のテーマ性が十分でありながら現実とドラマをまぜこぜにするというアイディアを面白く押し通した制作陣の遊び心だ。
ドキュメンタリーパート、ドラマパート、ドラマパートの中の作中映画パート、作中映画内の映画パート…。
それらがないまぜになっていることで覚える奇妙な現実浸食感はなかなか他で味わえるものではない。インセプションみたいにSFを基から志向する作品よりもより斬新ではないか?
正直、どの時点であいつは精神病棟に収容されたのか、ドラマパートのストーリーはどこまでがリアルなのか、はっきりしない気持ち悪さがあるのだが、それこそがこn話の特異点でもあり、そこから作中のヒトラーが現実を食い破るのではないか、と不安に思わされるまがまがしさがある。