20200714_シャイニング
色々なことを全部やった日だった。
そういう意味ではイケてる日とも言える。
ジャングル系の動画と曲を作ったし、ギターの練習をしたし、記事を一本化いたし、kaggleの勉強をしたし、絵も漫画も描いた(へたくそ)、さらにシャイニングを見て、相席食堂を見て、脱竹TVを見て、嫁はんと電話して、料理して、お昼寝もした。
これだけのことをやって全部薄味になってるよなという諦念はあるがかといってどれかを濃い味にしようと他を切ったところで情熱の濃さは急に増えはしない。
それゆえ、変わりはしないのだ。
それならすべてが薄味の方がましだ。
キューブリックはそういう姿勢に対してブチ切れるだろうけど。俺はイーストウッド派である。
シャイニング。
わろてまうところもちょくちょくあるのだが、おおむねおもろかった。
“REDRUM”とか最後の氷漬けの顔とか、「子豚ちゃん」は言うまでもなくだが、わはは。
ネタになる部分が多くなる映画だしこりゃのちに残りやすいなと。
同時にスティーブン・キングが気に入らなかった理由もわかる気がする。あまりにビジュアル重視──映画的過ぎるのだ。家族の背景について、シャイニングとは何なのか、怪奇現象はどこまで実体化しているのかが全然描かれない。
唯一注力されているのは「家族をしつける」というところについてのジャックとジョーの会話で、「All work and no play makes Jack a dull boy」(ここも笑ってしまった。あんなまじまじと読む必要あるかね奥さん)もあり、なるほど家族というものに抑圧感を感じている夫の発散を恐怖の主軸として描いているのだとわかる。
その後の嫁はんへのモラハラ的恫喝(俺の責任がわからないんだろ!)といい、ジャック自身がしがない作家志望に過ぎないことといい、その暴力性には思い当たらない点がないでもないし、ユニークだった。
ディックハロランがすぐに殺されてしまったのはもうちょっと何とかならなかったのかと思う。
あれじゃ、殺されるために来たようなものじゃないか。
「All work and no play makes Jack a dull boy」とプリントされたTシャツを売ってるサブカル衣料店が絶対あるよな。
作中でディックハロランがニガー呼ばわりされていたが、将来的にポリコレにこういうのも検閲されるようになってしまうのだろうか?
というか、俺の中のポリコレが「あ!」といったのだ。
でもその後別に作品だからいいに決まってる!と思いなおす。
誰の心にも学級委員長が住んでいる。