時間と金
嫁はんがいない土曜日。
俺の変わり映えしない土曜日。
でも、まあ、変わったことをすると疲れるので、基本ルーティンで回していった方が良い。
その結果、何らかのリターンが得られそうな雰囲気があるならハイエナのようにすがりつくさ。
ライター初期からやっている記事の単価は1万円。
正直今となっては安いと感じるが、特にクオリティコントロールに細かく口出しされていないので、多分割り切れば1本2時間くらいでかける。
でも、安い記事を安いクオリティで仕上げるのは気持ち悪いし、それで実力を評価されたらと思うと癪に障る。それに、とりあえず生活費には困っていない現状、俺が仕事をする意味は何かわからんけど強くなったような気がしたいというものがある。
そうなると、適当に楽をするのは本意ではなくなる。
資料代も請求できるのだけれど、いちいち細かく請求するのは匙加減として面倒そうなので、請求できるタイミングだけしている。そうでないときは自腹きって(といっても原稿料に対してプラスになる範囲で)本を買っている。
昨日も1冊購入。
結局こういう本位でない部分が俺の枠組みを広げてきてくれたことは事実が物語ってくれているのでこれこそ合理的な選択だと思うのだけれど、なんか惜しいような気は否めない。
最近はカフェで1000円くらい使うことは苦でなくなった。
まあ、それくらいのリターンはあるからいいかと。
でも、高校生や大学生の時はそれこそ200円のコーヒーを270円のカフェオレにすることにも躊躇していたものだ。
あれは何でかというと、あんまりバイトをしていなくて金がなかったからである。
バイトをしない方が楽だと思っていたし、貴重な若い時間を安売りするものでhないと思っていたが、時間を保有してやっていたことはブックオフに行くとか、長い時間をかけて大学まで移動するとかであった。
時間と金のトレードオフについてはもしも子供ができたら、それとなく教えておきたいなと思う。
結局感情とやる気とかそういうあいまいなもんを排して現実だけを見据えれば、重要なのは時間と金をどう使うかの配分に尽きるのだ。