映画『スパイダーマンノーウェイホーム』ネタバレ感想──俺は感心しない
俺は感心しない。
予告の時点で別バースからヴィラン大集合ということはわかっていたし、ピーターパーカーもやってくるよということは知っていた。それだけで、サンプリングの面白さに終始して物語としては破綻したものになるというリスクはどうしたって想像がつく。
しかし、あまりに評判がいいので、「やっぱり俺の想像もつかないようなことをしているのではないか」と期待して劇場に足を運んでしまった。
結果からすると、もちろん最悪の想像には当たらず、ヒーローに相応の痛みを与えて、全方位に気を使った結果にはなっていたのだが、こちらが期待し過ぎたよな、悪かったよ感は強い。結局過去作からヴィランやヒーローを連れてこなければならないのは、それ単体で通用する強いヴィラン、強いものがたりが作れないからで、次善の策だと俺は思ってしまう。
それに、全員一回倒しているのだ。ピーターパーカーピンで倒せたのだから、そりゃ三人もいて、ドクターストレンジもいれば楽勝に決まっているだろうと。
そういう『「こいつ倒せるか倒せないか」じゃなく「MCUピーターパーカーが己の暗黒面と戦い、本当のヒーローになるためのオリジン」なんだよ』と言われればそうかもしれん。でも、だとしたらこれが一作目でいいよ。
三部作の結末を締めくくるにふさわしい敵が創造できなかった、というかしなかったのは気に食わない(6部作になる可能性が報道されているが)。前半のMJとのイチャイチャとか、ハッピーとメイおばさんの下りとかはずっと見ていたかったから、結局前作までのジュブナイルスパイダーマンが好きだったということなのかなとも思う。
それに、最後に雪の中に駆け出すパーカーは確かにかっこいいぜ。それにしても、全員が存在そのものを忘れるなら、そのスマホの契約はどうなってるんだとか、おしゃれなニット帽や手向けるお花はどうやって手に入れたんだ?とか気になるが。
“記憶”は消えるけど”記録”は残るということ???あと、「アベンジャーズ??」「バンドに入ってるのか??」は笑った。
実は、アメスピ2部作は見ていなかった。
だから、そのあたりのファンダムに乗れなかったというのももちろん俺の感想に大きく影響している。
しかし、それこそがフェアな視点であって、やっぱりこれ見るなら他もしっかり見てきてくださいよという殿様商売は気に食わない。
なんていいつつ、確かに安定して収入を見込める劇場公開映画のテレビドラマ化というパンドラの箱を開けてしまったら、そこからは逃れられないよなと思う。
そのあたりをいじり倒す作品がWBあたりから出てくることを望む。
あと、俺のこの「なんか盛り上がってるけどそれには乗れないな~。表層じゃないの?」という感覚は、俺が『レディ・プレイヤー1』で盛り上がっているのを見ていた嫁はんの冷ややかな視線に似ている。
メタバースとか、ループとか、幾何学とか、ミームとして用いられているのがなんか「ださ~」と感じてヒいてしまう。
しかし、俺は文系。文学部。それらについて理解しているレベルは俺が軽蔑している此岸の側なのだ。
なのに、ヒいてしまうのはようするに俺自身が「モノを知らないから」それでも「俺はお前らとは違うぞ!ちょっとはわかってるから!知らないことは知ってるから!」と言い訳したいモードに勝手に無意識が入ってるからなんだろうな。