裸で独りぼっち

マジの日記

映画『ローラと2人の兄』感想…まあ褒め/森を見て木を見ず

ローラとふたりの兄

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引っ越しのことで頭がいっぱいで8割くらいしか集中して見れなかったが、求めていたノリで楽しめた。
ローラが困った2人の兄と衝突したりおかしな出来事があったりしながらも最後に兄弟愛を見せる敵な話かと想像していたが、ローラ、兄2人それぞれにちょうど1/3ずつドラマが割り振られている感じだった。
その分、それぞれの話に深みがなく、また映画としての一貫性がないという批判は、当然あり得ると思う。
最後も突然時間が結構飛んで、特に色々な物語が閉じた感じもしない(ピエールの息子はけっきょくケンブリッジをあきらめたのか?)が、なんとなく人生の一コマを描いて終わる。
(そして粉砕されたビルがなぜか復元される)

ローラとゾエールは眼鏡屋の経営者と裁判官で、やたらいい家に住んでいる。ゾエールなんかメガネの色測定器の下りとか、お客さんにのろけたりとかかなりの無能にしか見えないのだが。でも、こういうおしゃれな家に住んでコメディみたいな暮らしをしてるんだぜ~と疑似体験するために俺は映画観てるのだ
(引っ越しのことなんか、忘れさせてくれ!)

ピエールはそれよりもやはり落ちる内装のアパート暮らしだが、息子はあたまがいい。関係も良好で、元の嫁はんもちょっと気がある。職場の後輩もいいやつで、最終的には雇ってくれる。
……ちょっと都合がよすぎるだろうか。

でも、都合がいい話がたまーにすごーくみたくなるんだよなあ。これは偏愛である。というか、映画の評価ではなく、本当にデトックスの感想みたいなものだ。
とはいえ、それにも一定水準の質が求められる。
(10点満点で)質7、深み3、娯楽性9といった感じだった。
このくらいのバランスでいいのだ。

昨日から、俺はオレを楽しませてくれるものが好きだという話しかしていない。

なんというか、「とどのつまり症候群」。

とどのつまり、おもしろいものがいいんだろ、とかとどのつまり、曲なんて歌詞が思想にあっていてメロディがそれを引き立てるくらいにフレッシュでコード進行は王道から少し工夫があったらいいんだろとか、極論(だけど一面の真実ではある)ですべてを片付けてしまう。

その極論を成り立たせるために無数の細部があるのだが、俺は木々の一本一本を見るのがどうも苦痛なようで、結局森の話ばかりしてしまう。

木を見て森を見ずという言葉があるが、森を見て木の存在に気づかないのも、また人の感性にとって欠落ではあるのだ。

 

ローラやピエール、ゾエールはどちらかと言えば木を見て森を見ないタイプだし、物語でトラブルが起きるのってたいてい登場人物が木だけ見て、森を見られていないからだと思うが、物語は「木」に向き合わなければ動かない。

森の存在にだけ気づけば、今自分が森にいるということだけは確かなのだから、道を歩みやすくはなるんだけど、道中どうも自分だけ欠落しているような感覚に悩まされる。

森を抜けた時、何にも残っていなかった──。

そんな未来が待っていそうな気分。

森へ (たくさんのふしぎ傑作集)