裸で独りぼっち

マジの日記

トイストーリー4感想 おもちゃから立派な人間モドキへ ※ネタバレ

Filmarks感想

ウッディの決断については賛成派。
おもちゃの暴走についてはがっかり派。
ほぼ完ぺきにネタバレを見聞きしたうえでの視聴でした。

今回、ウッディ部分については完全に実存の話であり、老兵は死なず消えゆくのみ」的な哀愁をにおわしていた。思えばカウボーイのキャラという時点でこの結末は予想されたものだったのだ。
継承され、また一から子どものパートナーとして生きることとなった3のラスト。しかし、現実はそんな甘いわけあるかい、とこれまで遊んできたおもちゃを自然断捨離したり自然放擲したりしてきた我々は心のどこかで気づいていたはずだ。おもちゃは(≒人間は)いずれ求められる役割を“降りる”ときがくる。
そんなときの選択肢を示さなければならないのではないか――。それがピクサーの語るべき物語だということだろう。

しかし、ここで問題なのがそこまで話を踏み込むと”完全に子どもにはピンとこない領域の話“になってしまうということだ。彼らはまだまだ現役なのだから。
そのカバー手段として用意されたのがドタバタキャラのフォーキーとキャンピングカーを操るためのジェシーたちの活躍だったのではないか。
フォーキーは良い。お気づきの通り”人はおもちゃだというが自分はゴミだ”という実存的問いとドタバタがリンクして必然性を内包していたからだ。
しかし、車を止めるための画策はやりすぎだった。大人があそこまで馬鹿にドタバタするとそりゃ子どもは喜ぶかもしれないが、どう考えてもパパママがヌケサクすぎる。あんな勝手にエンジンがかかる車「やれやれ」なんていって乗って帰るかね?危ないし気味が悪いから一泊して様子見るなりJAF(米国のやつ)呼ぶなりするのではないか。カーナビでないおもちゃが足の下でしゃべってるのもふつうわかるだろ。というかおもちゃの声って普通に人間にも聞こえるんだ…。そこらへんはあいまいなルールにしておくのかと思ってた。

ここまで書いて、要するにもう完全にこの作品でおもちゃは我々が考える「遊ぶための玩具」ではなく、人間が気づかないだけで自由意思を持ち自由行動を行う「生物」だと定義づけられたのだろう。
その点を強調することにつながるからこそ、おもちゃたちの暴走にもGOサインがでたということか。

ようするに、奇しくも同時に封切りされた殺人鬼の魂が宿ったキラーモンスターチャッキーと、ウッディたちはほとんど同じ存在なのである。『トイストーリー5』が制作されるとすれば、直接人間に害をなすおもちゃも出てくるかもしれない。もしかしたら、『ウッディVSチャッキー』なんてことも……。

そこにいたってトイストーリーは「おもちゃのものがたり」から「意思を持った奇怪な人間モドキのものがたり」と化すのだろう。そこにもはやオリジナリティはないから、まあ4で打ち止めだろね。

 そういえば先月の『映画秘宝』にてトイストーリー4は「本当は怖いトイストーリー」として特集されていた。試写をみて秘宝編集者陣も同様の人間モドキ感をウッディたちに抱いたのだろうか?

 

Filmarksで拾えなかったポイントは以下の通り。

・チョコレートプラネットの吹き替え良かった

・ヒカキンが声をあててたことにエンドロールで気づいた

・ボーが活躍する反面ウッディが無能などポリコレ配慮すぎでは?という批判があったがそこは気にならず。必要とされなくなった存在がどう生きるのか?の話なのでむしろウッディを無能に描くのが必然だった

・バズが1のバズに戻ってしまったという意見。まあ、ギャグのための犠牲になった部分はある、が、「ボニーは大丈夫だ」でなんとかカバーできていたでしょう。ただウッディとボニーの絆以上にポテトヘッドやバズ、レックス、スリンキーらとの関係は深いわけで、彼らとの別れを惜しむシークエンスや思い出を描くシークエンスはエンドロールであってもよかったよな。

 

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※追記

トイストーリー世界の人、拾ったおもちゃ自分のものにしすぎじゃ?(手癖悪くない??)ギャビーギャビーとかあんなでかい人形絶対人のもの(実際売りもの)なんだからぜったい持って帰らせちゃダメだろ!親!!