20200428_真面目
普通の非。
普通に原稿がちょっとやばいので焦った日。
コロナ禍以前にもよく合った光景だ。
しかし、最近は記事を書くペースもつかめてきたのでこんなことは大してなかったのだ。
ンにもかかわらず、今回は記事のテーマがテーマだけに(じぶんの全然触れてこなかった理系分野)いくら勉強しても足りず、ガーッと書いても「これ、専門家が見たら粗だらけでヤバイ記事なんじゃないか…? そうあっては恥ずかしい」という思いが頭をもたげてしまう。
要するに、ちょっとテーマが自分の手に余るということだ。
しかし、手に余るようなテーマをかみ砕いて伝えることしか、パーソナリティで勝負するタイプではないライターは価値を発揮できないのではないかという気がしている。
そして、パーソナリティが受け入れられるかどうかは運しだいだが、こういうむずいテーマに立ち向かった末の知識は劣化しないように思うのだ。
それとも、半可通では結局意味がないのだろうか…?
俺は世界のあらゆる人に対して“知ったかぶり”ができる人間になりたいのだなと思う。
しかし、知れば知るほど自分のメッキの薄さが目に付く。
どこかで網羅性を犠牲にしなければ専門性が得られないことはわかっている。わかっているのだが、網羅しようと思ったって網羅しきれない世界で網羅できるぎりぎりを狙うことがやはり専門性に近づく最適な手段のような気もする。
禅問答のような話だ。
嫁さんに割と邪険にしてしまった。
1人の時間を大事にし過ぎるのは夫婦としてよくないことだと思う。
嫁さんを寂しがらせてはならない。
俺は嫁さんに依存して生きているといっても過言ではないのだから、嫁さんも依存させてやらなければならないのだ。
共依存は良くないんじゃないの、という疑問も浮かぶが片依存よりはよっぽどフェアだと思う。
ましてや自分が依存側だとしたら当然だ。