20200518_空白に哲学
一日中家にいた。
と思いきや、夕飯時に家を出た。
散歩である。
朝からたいそう眠くなった嫁は眠り、俺はまたいつものルーティンに向かっていた。
ルーティン、ルーティン、ルーティンである。
書くことがない。
日記でこんな生みの苦しみみたいなことを書くとはね。
とおもうけど、きっと世の中の大半の人間にこんな空白の日記の日があるのだろう。
昨日は一応外出したわけで、まっさらではなくオフホワイトな一日なのに。
夕方から家をでて、マスクを買う。
数日前にはマスクをつくるぞ、といい百円均一で歯切れとゴムひもを購入したのにも関わらずまだ作れておらず、その状態では入れない店が複数存在するのだ。
というわけで、急遽マスクを買う。500円のマスクを買う。
金というのは、便利な発明である。
さらに日本銀行券を使う。テイクアウトである。
オードブルを購入する。
家で食う。探偵ナイトスクープを見ながら。
探偵ナイトスクープの作家として百田尚樹が入っていた事実を思い返す。
どうしてここまでユーモアのある番組を支えてきた人間がああまで右傾化してしまうのだろうか。
といいつつ、Twitterでアベガーとなっている人のなかにもバランス感覚を持った作家というのは少なくないわけで、つくづく創作というものの「描かされている感」についてかんがえてしまう。
きっと、イデアの写しがたを書いているだけなのだ。
と、なんだか宗教(哲学)臭くなってきたぞ?
宗教と哲学の違いについて考える。
考えてもわからないから、だれか唄にでもしてくれないか。
それでわかったきになるよ。