時間と車輪
毎日ルーティンである。
仕事以外はちょっとタッチするだけのルーティン。
とにかく一日に考える余地をなくすことが効率をよくするための一番の方法なので、ルーティン化はおおむね俺の人生にとって功を奏しているのだけれど、ずっとプラスに働き続けるものなんてこの世にはない。
ルーティン化しながらも胎動し続けることが重要だ。
というわけで、いろんなカフェを回ってカフェ勉をするのがその手っ取り早い策となる。
人間が変わるには「時間の使い方・接する人・行動する場所」のいずれかを変える必要があるとなんか偉い人が言っていたらしい。
それはなかなかやはり慧眼である。
再現性がある。
俺は接する人がずーっと変わらず、前述の通り時間の使い方はルーティンで半ば固定しているので場所を変える以外に自らの細胞をリフレッシュする方法はないのだ。
最近『100年の孤独』を読んでいるのだけれど、家に忘れてしまった。
仕方ないのでカフェで俺はタブレットPCに絵を描く。
俺は将来的にインディーズのエロ漫画を描いて不労所得をえてぇ~とYouTuberになりてぇ~と思う小学生のように夢想している。
バンドより、一般漫画より、インディーズで勝てる市場がそこにある気がするし、なんかエロ本を買って損した!と思った経験がないからだ。
俺は損した!と思わすようなもので金を得するのがまあ、やぶさかではないが、それでもちょっと嫌だ。
なので、まあ、そうしていきたい。
だから、コミケとかFantiaとかDMMが発展したんだなあ。
車輪の再発明をしている。