裸で独りぼっち

マジの日記

星の子─宗教VS社会VSカルト

芦田愛菜6年ぶりの主演作『星の子』を見た。

自身が病気がちだったせいで親が水を信仰する怪しげな宗教にはまってしまった。宗教二世の物語、

『むらさきのスカートの女』で令和初の芥川賞を受賞した今村夏子原作。

星の子

 

平均評価が低かったので不安に思ったが結果良かったので積極的に評価していきたい。
先日邦画『のぼる小寺さん』を見たが、学校の描き方が実に対照的な2作品だったと思う。個人的には『星の子』の学校の方がリアル、というか俺が住んでいた世界に近い。
廊下はあんなに騒がしくないし、知らないやつとは仲良くならない。恋は遠くからボヤッと眺めることだし、先生と生徒の間には軽く靄がかかったような隔たりがありながら上下の関係が成立している。

それは、思うに漫画原作と小説原作の違いではないかと思う。
ジャンルにもよるが、小説は思想を描くもの、漫画はキャラクターを描くものという要素が強いように思う。
だから、まあ思想を描くための道具立ての方が思想フェチの俺にとって好ましいのだろうな。
漫画のほうが絵で語る分映画的といえるし、実際画で見せるショットは『のぼる小寺さん』の方が多かった。『星の子』はセリフ量が多い。説明的セリフこそなくあとは行間を読んでくださいスタイルの演出が多かったが、それこそ小説的だろう。
原作も読んでみたい、と思った。

この映画に興味を持ったのはやはり宗教一家の子供が主人公で、親と世間との間で板挟みになるという構図が興味深かったからだ。宗教とは反社会的なものだと思う。反社会的なものが好きだ。宗教、猟奇事件、旅、哲学、読書、隠遁、ヤクザ、路上のケンカ……。俺が面白いと思ったのもその反社会的なものが社会との間で軋轢を起こすストーリーに期待を抱いたからだけど、結果としてはそういうわけでもなくごく個人的なちひろの話、というか状況説明に終始していた。

『のぼる小寺さん』では無自覚に悪い教師が出てきていたが、今回の南先生は普通に悪い。悪役であるが、カルトに対する世間の反応としては割に真っ当なものだったりもする。

反社会的な存在である千尋に対し、南先生のように拒絶するのか、なべちゃんのように「変な宗教はいってるしどんどん貧乏になってくよ」といいつつ友達でいるのか、新村君のように良いバカとして接するのか、おじさん家族のように掬い上げようとするのか……。

途中で出てくる嘘つきのデブの子供の話はなんだったんだろう。さんざん言われているように唐突に出てくるアニメーションは意味がよくわからない。監督の自己満足で入れたのではないかと疑わしく思ってしまう。
タイトルアートの絵はすごくよかった。

 色々とまた感想を読んだ。

両親が集会のために葬式に来ないシーンがあって、そこで葬式に来ない両親を「非常識なやつだな」と俺は引くわけだが、よくよく考えたら葬式も宗教的儀式であり、そんなもの平たく言えば別に意味なんてないのである。

「いや、遺族の心をいやす通過儀礼としての意味がある!」というならそれこそまさに根拠のない宗教パワーを“信じる”ことで意味を見出しているのだ。

決して安くない料金がかかるしな。

 

少し前に、イオンの葬式広告を批判する坊さんのツイートがバズっていた。

俺も一読して何となく「これはあかんやろ……」と感じたが、よくよく考えたらこれで何かを冒涜していると感じるのは非合理な感覚でしかない。

なぜ葬式をパッケージングして明朗会計で遂行してはならないのだろうか。

そこにはやはり、うっすらと染みついた“宗教観”がにじんでいるのだ。

パッケージの中で肉汁を吸い込んだドリップ(下の紙)のように。

 

そういう自身の姿をデフォルメして描いたのがこのお話であると思う。

俺たちは何かを信じている。

「騙されてない?」となべちゃんに問いかけられて「騙されてないよ」と答えられるのは「ただただそういうものだと信じているから」なのだ。