裸で独りぼっち

マジの日記

20200821_2分の1の魔法

原稿を3本も終わらしてやったぜ。

 

そして、ディズニー/ピクサーの最新作『2分の1の魔法』を見た。

2分の1の魔法

ピクサーにしてはまあ普通。
発想は面白いけど結構粗がある設定でもある。
最近のディズニー/ピクサーの傾向として脱いいこちゃんというか、イルミネーションやドリームワークスの空気を取り入れようとしているのかなと思った。端的に若返ろうとしているというか。
『アナ雪2』のクリストフによる洋楽PVパロとか、今回でいうとグウィネヴィアの特攻シーンの無駄にヒロイックにすることで笑いを誘う演出とか。

エルフやゴブリン、妖精は普通にいるもののみんな科学に頼っている世界という設定はとても面白い。そこの世界観を見せるのが本作の魅せどころだと思う。野良ユニコーンとか、暴走族妖精とか、いいよね。

ただ、やっぱりなかなか無理のある設定でもあるぞ、と。
なにせほぼ一日で主人公イアンが最強の魔法まで身に着けてしまうのである。
科学はいいなあ魔法は大変だなんて言って魔法をみんな身につけたそうだが、魔法十分便利やんけ。イアンにものすごい才能があったということかもしれないが、そんなに唯一無二の天才の物語なら兄バーリーとの「2分の1」の対比も崩れてしまうし、我々が自分を重ねることもできなくなってしまう。
妖精も飛ぶことを思い出すし、マンティコアのコーリーは往時の気持ちをイアンの言葉で取り戻して店を焼いちゃうし、どうも魔法を忘れるってそんなしょぼいレベルでのことだったの?と疑問に思って悲しくなって泣いてしまいました。
ほんまは泣いてないけど。

人間がかつて持っていたはずの野生のカンとか体力、発想力が魔法のメタファーならば、あんなに簡単に取り戻せるものではないよね。
でもその路線の方が絶対深みがあるしそう読み取られると思う。

毎回なんらかの映像的な凄みを見せてくるピクサー。今回は煙の表現だった。呪いのシーンはこれまでに感じたほどではないもののまだ映像的な驚きが、劇場で見るべき工夫があるなと感じた。

エンドロールは結構詰まんなかった。
吹き替えでは、春菜がちょっと違和感というか「春菜やんw」感がつよかったなー。普段はこう思うこともないんだけど。おそらくあのお母さんのもともとのキャラ自体が変わった喋り方の演技になっているのではないか。そこに合わせようとして齟齬が生じている感が。
あと、今回文字を書くシーンが多かったが、やっぱり手書き感が少し薄くて覚める。あそこをもうちょっと完璧に置き換える技術は持ち込めないんんか。天下のディズニー/ピクサーなんやで。

全力少年がエンディングの意味もいまいちよく分からなかったけど、まあそれは日本版テーマソングの宿命である。

最終的にイアンが○○という展開はなかなか踏み切った勇気ある演出だし、そのせいで消化不良感もあるんだけど、それでもおしゃれでいかすと思う。

 こんなにしたり文で語っているが、特にディズニー/ピクサー通というわけではない。

WALL・Eとか、インクレディブルファミリーとか、カーズシリーズとか、見たことがない作品もたくさんある。

見ていない中での感想である。

でもおおむね世間一般の反応と変わりないのではないだろうか。

 

映画をよく見ていればまあ穏当なところに落ち着いたなーと思うだろうし普段見つけていなければすげー面白い!となるだろう。

俺は高校の時に見た『サマーウォーズ』がそうだった。

当時はこんな面白い映画はないねと思ったものだ(遠い目)。

 

アニメーション映画はこともがたくさん見に来ていて心の保養になる。

ある女の子は「2分の1の魔法は怖い! ドラえもんの方がいい」としきりに言っていた。

「これで怖いのか~」とほほえましくなった。

俺はだんだん自分がいいパパになれるという自信がついてきている。

屋っと大人になってきたかもしれない。

ただ、まだ別に何の種も仕込んでいない。

 

マックが食べに行きたいとふんわり思っているのだけれどちょうどいいところに店舗がない。

車に乗って食べに行くほどではないと思ってしまう。

バブー。