20200823_毒の詩
嫁はんがつかれている。
連日の勤務は心をむしばむ。
それに加えて人間関係が脳を悩に浸す。
侵される。
仕事というのは得てしてそういう面がある。
やりたいことを仕事に、なんていうけれど、やりたいことをやるためにはやりたくないこともやらなければならない。
それは当然の、まっとうな考えのように甲本ヒロトも語っているけれど、それならやりたいことなんて納屋と一緒に燃やしてしまえと思う俺たちはどうだろうか。
反社だな、と思う。
無力な反社である。
徒党を組む気合はないが、遠くで信号を送りあうようにして社会に対して背を向けている。
といいつつ、俺は鉛筆なめなめ原稿を書いて、また役所を通して婚姻関係を結んで、社会の甘い部分と手を結んでもいる。
そのおかげで狂わずに済んでいるのだ。
だが、李朝のようにトラになる純粋さはある。狂うことは純粋であることの証明だと思う。
俺の血液と瞳孔にはとうに毒が混じってしまっている。
人間が生きていくのはその毒と引き換えに金や人間関係を手に入れ、休日に毒抜きをして幸せを手に入れるということだ。嫁はんは濃硫酸のなかで懸命に泳いでいるが、そろそろ息継ぎが必要だろう。
息を継いでくれ、と思う。
別にそれで俺の息が止まってもいいから。
と、献身的なことを思ってみる。
でもそれは消極的な“それ”で、やさしさとか奉仕にはちと、否、だいぶ足りない。
死にそうなバジルに気休めに水をやるようなものだ。
ベランダの鉢植えには彼の死骸で埋まっている。
☆☆
ときどき、こういうラノベ黎明期にかぶれた文を書きたくなる。
そういうビョーキである。
CubaseProに格安でアップグレードできるセールがやっていたので買ってみた。
でも、今使っているPCが負荷に耐えられるかはわからない。
もっと計算機科学について勉強しなければならない。