スイッチを買った
昨晩も嫁はんはつまらながった。
amazonでニンテンドースイッチを買ってみた。
これが、俺たちの日常に刺激を与える糧となってくれるのだろうか。
分からないが努力して享楽的になろう。
俺たち地方からコツコツ蛍雪の功で国立大学行きました人間は、享楽が下手なのだ。
遊びをわかっていない。
東京を知らない。
それは、堅実で、意味があって、賢いことなんだけど、人生を楽しむという意味では不十分なのかもしれない。
どうぶつの森を今さらやるぞ。
意味ないことに意義を見出すのだ。
毎日一個ずつ記事を書いている。
もっと早くできる気がするのだけれど。
ほかのライターの育成的な案件も受けることになった。
この前Twitterで仕事を受ける基準として「楽しい・クライアントが好き・報酬が良い」の3本柱のうち2本がないとやらないといっていたが、この育成案件は「報酬が良い」があるくらいである。
まあ、クライアントも良い人である。
だから、まあ、細めの柱が2本ある状態ではあるんだけど、昨日もブログで書いた通り自活していきたいわけで、
なかなか難しい。
だらだらと芸術家気取りみたいに生きていくことは可能なんだし、昔はそれが夢だと思っていたけど実際それが一時的にせよできる立場になったら「それはまずい」と感じる。
永久にそうあれるならばまた話は違うのだろうか。
いうて、義務があればそれはほぼ仕事みたいなもんやし一日のすべてが空白で自由に使える状態になったら絶対に面白くないと思う。