自活という空想を追う私
嫁はんがつまらないといった夜 俺も同じくつまらないのさ
一句作ったわけであるが、川柳なんて嘘だな、と思う。
俺はべつにつまらなくなかった。
でも、昼間忙しく働いて帰ってきた家がつまらない空間なんて、嫁はんはかわいそうだと思う。
俺の思いやりが足りないせいである、かもしれない、と思う。
俺には「嫁はんを幸せにするぞう」という気概がない。
人間は他の人間の力で幸せになることなどできず結局は意識改革によって多大なエゴイズムと少しの思いやりと十分な衣食住娯楽性眠快を得ることでしか歓びは得られないと考えているからだ。
しかし、俺は現に嫁はんのおかげで幸せになっている。
だから、多少なりとも返そうという気概を──たとえかなわなくとも──抱くべきだと思うのだ。
なんていいつつ、ZOOMで地元の友だちとおしゃべりである。
ジャングル系である。
ZOOM上で漫才を練習している。
リモートで、しかも素人で、まじめにやっているわけでもなくて、全然うまくいかないがそれでも楽しい。
ただ、俺は“ただ楽しいだけ”のことを深層心理で「意味がねえよって価値がねえだから時間をかけるつもりはねえ」と考えるタイプなので、やっぱりそういう態度で遊びでやっているだけではいずれ破綻が訪れるだろうし、もうちょっと実になる何かに育てていきたいとは思う。
現在はほかでも多少なりとも収入が得られているが、それもいつまで続くのかはわからないのだ。
例えば昨年から今年頭にかけて隆盛をほこったcakesが若干斜陽のときを迎えようとしているように。
やっぱり誰かに見放されたら終わりという状況はよくない。
かといって人と人のつながりが経済である以上その鎖からは逃れられないのだけど。
それでも、自活という空想を追うのが人間だ。