否認についての一考察
善意をもつことが大事だな、と思った。
善意とは悪いことをしているときにもそれを自覚しているときにすら持てるものなのだ。
知ってるか?
別に悪いことをしたわけではないのだけれど、とにかくそう思う。
例えば新しい仕事を受けるとき、俺はとりあえず吹っかけてみる。それで結構請求が通ることもある。そこで「要求が認められた! このクライアントはいいクライアントだなあ。あんたの要望にしっかり俺ちゃん応えて見せますよ!」と調子に乗るのが“善意を作り上げる”ということなのだ。
善意を作り上げ、銭を巻き上げる。
ジークムントは「否認」という概念を生み出したことで有名だが、同時に自身が否認の害を被った実践者でもあった。喫煙習慣を辞めずに健康を害したのだ。
俺のそれも、自身の後ろ暗い欲とか怠惰から目をそらす否認なのかもしれない。
たとえば、じじばばの懐に入り込んで高級羽毛布団を売りつけるチンピラ。せめて今だけは孫のように肩を叩いてやろうと考えたとしたら、そこにあるのは自身は詐欺者であるという事実から目をそらす、否認である。
しかし、その否認によって生み出されたものは決して悪いものばかりではない。
肩を叩くこと、クライアントに資することは、それ自体純粋に取り出せば温かみのある善意だからだ。
昨日も嫁はんの看病をした。
サツマイモのおかゆとクリームシチューを作ったよ。