小人閑居して不善を為さないがために
何の日だったかもわからない。
またもフツーに波風なく過ごした。
昼間は家を出た。ドトールに行った。
無機質な行動だった。
だが、それで満足が行くのだ。
満足が行くことをほかの価値観と照らし合わせて否定してもなにもいいことがない。
小人閑居して不善を為す。
というが、それは閑(ヒマ)であることに耐えられなくなって、能力値を超えた対ソれたことに手を出し、結果としてクラッシュするからだと思う。
ヒマを暇として満足できるならばそれに勝るものはない。
俺はついに齢28にして「閑」をてにしたのだ。
──といいつつ、取り組んでいるのが一応仕事である。
最初に効いていたのとは大幅に違うが、かといって大仕事というほどでもない記事の作成にせっせと取り組む。
2時間がたち、だいたい半分くらいが済む。
もう半分を残してドトールを後にする。
こういうときは、本屋に行くに限る。
ぶらぶらと新刊の棚の間を徘徊して「ルポ川崎」を買おうかどうか迷って、やっぱり「100年の孤独」を読破する方が先だな、と思い直し、何も買わないでジュンク堂を出る。
嫁はんは夜に帰ってくる。
明日は幸い休みのようだし、酔うメニューでも用意しようか、容易だし。
という目論見は外れ、嫁はんはアルコールを飲むわけにはいかず、納豆アボカドとハムとエリンギの炒めた奴と味噌汁とサラダはそのまま胃袋にしまわれた。