痛くても、学びませぬ
健康第一だ。
俺は才能も金も対してないけれど、健康だから運がいいじゃないか。
と思っていたが胃は悪いし、ベロはひどく痛むのであった。
この内容の薄いブログに3日間連続でベロが登場している。
それだけ痛みは人間をさいなむのだ。
モルヒネをくれ。
昨日はミスドとガストをはしごした。
贅沢である。しかし、1月2月よりおそらく出費は少ない。
人間金を失うのは何というか、こういうことに由来しないのだ。
もっと「金を払うのがやむをえない」ような状況で俺たちは簡単に金を失う。
例えば葬式や結婚式や投資の失敗や家の購入だ。
そういうものから亡命しようとする吝嗇家の不幸な若者と、そういうロールにいまだ疑問を持たない地方の(幸福そうに見える)若者。嫁はんは後者に対していまだに劣等感を持っている気がする。
俺はそんなもの感じたことがない。
なぜだか自分に自信がある。
でも、ときどき自分の「足りない」思い出を引っ張り出しては「死ね!」と奇声を上げるのだけはやめられない。
一方嫁はんの口癖は「死にたいね」である。
2人して中二病だ。
ベロが痛いのにガストで山盛りポテトフライを頼んでしまった。
顔をゆがめながらうまいうまいいたいいたいとポテトにケチャップとマヨネーズをまぶしたものを口に運ぶ。
胃袋が痛くなるのを知っているのにラーメンを食べてしまうし、俺は学ばない。
あるいは、痛くてもいいと思っている。
痛くても、これまでの生き方を変えられないのだ。