運の二度見
昨日は久々にカラオケに行った。
俺は騒音太郎。防音ルームでしか許されない生活。
結果としてはカラオケ施設が利用できるのは基本的には良い。
採点機能を利用して唄ってみたら基本的に普通より4点くらい点が低かった。
以前はカラオケなんて信用できるもんかと思っていたけれど、AIなど色々調べるにしたがって、おそらく音程やニュアンスの判定など考えている以上に高精度にできているはずである。
よって、カラオケ名人をもっと目指した方が良い。
元々うちで弾き語っていたのも歌が上手くなったらいいなと思ってのことだったのだから、カラオケで歌った方が合理的なのだ。
オーディオインターフェースを使っての録音もなかなかうまくいった。
家でぎりぎりの良心がかけているラスト1dbのストッパーをカラオケでは解放できるのでそちらの方がむしろ良い気すらする。
どんどんいくぞう。
嫁はんは忙しい。働きながら大学にも言っているからだ。
仕事の後は発表の準備。
自分がまけたくないと思って結果として立脚するに至った泥沼ではあるものの、足腰が強くなる代わりに体はみるみる沈み、息はアップアップ。
こうして歴戦の戦士が生まれるのだが、俺は傷病兵のふりをした姑息な兵役逃れ。
穀を「炊いて」日々を賄っている。
自分のやりたいことをやる
世の中の役に立つことをやる
この最小公約数を取るのが幸福なライフワークだと思うが、そこに才能とか未確定要素が絡んでくるのが厄介なところだ。
はっきりいって家に防音ルームがある金持ちの子どもと長屋暮らしの子どもで扱える音楽の範囲にははっきり差が出るし、もちろんヒップホップ的な後者だからこそ生まれる文化もあるとはいえ、環境で結果が変わるのは間違いないだろう。
そう、結局大勢を決めるのは運。
だから、運からは目をそらしつつ、たまに目を向けるそのバランス感が重要なのだ。