20200915_人生はおかず映画はご飯
あんまり仕事をしなかった。
仕事をする気がわかない。
かといって、映画を見る気にもならない。
最近気づいたのだが、以前の俺は”雰囲気で娯楽を楽しんでいる”ということに気付かずにいた。
娯楽は娯楽だから面白く楽しい。それがいつであっても、と思っていたのだ。
だが、事態はそう単純ではないらしい。
映画が面白いのは映画が面白いモードに自分が入っているからで、ほかに優先すべきことがあるときの映画は、その一時面白いものの実は十分に楽しめてはいないのだ。
ご飯を食べるためにおかずがある。
しかし、その日の食事の味付けはおかずが左右している。
同様に、”楽しむために人生は存在している”と俺は思う。
しかし、楽しむためには人生をしているかどうかが左右している。
これは、人生が勝ち組だとか負け組だとかそういう話ではなくて、人生をしている俺が映画を見るからこそ映画が面白いのだという意味だ。
人生という母体が無意識化に影響しているからこそ映画は面白い。
だから、人生(≠社会)に参加していなければ映画は味気ないものとなってしまうのである。
というわけで、映画を見なかった。
しかし漫画を読んだ。
今際の国のアリスを完読。
デスゲーム系の中でこの話が絶賛を集めているのは、知的ゲームでなく心理ゲームという部分にあえて振り切ってテーマと重ねたからだと思う。
現代型のデスゲーム漫画の直接の父はカイジ(その前に金と銀とかに要素があるのは置いといて)だと思うのだが、初期カイジの面白いところって、知的合戦と福本哲学のバランスが拮抗していたからで、この漫画もある程度哲学に偏りつつもそのバランスがうまく保てていたのかなと。
俺の好きなリアルアカウントが評価を得られていないのは内容がバカだからではなく哲学がないからという気がするのだ。
でも俺は哲学なくていいけど。
金田一少年犯人たちの事件簿1~3巻も読んだ。
絵とか作者の四コマとか、いろいろと古臭いのが良い。
あと、『こえでおしごと!』1~6巻?と『アカイリンゴ』1巻も読んだ。
まさかの編集部が懐かしい。
アカイリンゴはすごくプリズンスクールみたいな絵だった。
話もそんな感じだ。なんかつながりある?
あ、それに『ハンチョウ9巻』も読んだ。
ほほえましかった。
夜はよめはんとカフェに行った。
川沿いのカフェ、ちょうどこの季節によかった。
お店のおばさんには「さむくない?」とやたら聞かれたけど。
9mmのトリビュートをきいて帰った。
嫁はんが「もったいないから10分くらいだけドライブして帰ろう」というので、適当に走らせた。
そういう夜っていい夜だと思う。
お米の自販機も見つけたしな。