お金といのち
中古車を買った。
163万円で。
新車と迷っていたが、完全に満足だ。
100万くらいの差がしょうじるのだから。
それもこれも結婚式での反省を活かせたのがでかい。
大きな買い物をするとき、ついつい失敗したくないという気持ちが働き、安心料として高額な金額をポンポン払ってしまうサガが俺たちにはある。
しかし、マクロ経済的な視点は抜きにして、個人の出費をコントロールするという観点から言えば、それは完全に悪手である。
5000円のランチを食べるのに躊躇する人間がなぜ10万円のオプションを平気で追加してしまうのか。
庶民は、もっとまっすぐ金を好きにならなければならない。
俺はお金が大好きだ。もっと正確に言うとお金が与えてくれる安心感が大好きだ。
だから、無駄な出費は押さえるのだ。
昨日の夜は出前を頼んだ。
待ってる間に中央線の刃物振り回し事件のニュースを読み込んだ。
正直言って俺は社会が嫌いで、今定職についていないし、最悪死んだらええねんとか生活保護もらうがなとか海外脱出するがなとか思いながら生きている。
それは、明日死ぬかもしれないから将来にコツコツ備えても無駄だという投げやりな考えが背景にある。
別に病気だからとかではなく、人間すべてがね。
死を意識せずにのうのうと生きるのは、バカだと見下している。
しかし、俺は出前を頼む。
無敵の人が毒を入れたって絶対にわからない。
玄関先で刺されるかもしれない。
コロナにかかって死ぬかもしれない。
それでも外出するし、金という交換価値を利用して人に本来やらなくても良い雑事をやらせたりする。
それって、やっぱりどうせ死なないだろ、こいつはオレを殺さないだろというクソ甘い見通しが背景にあるからだ。
まあ、怖がってちゃ社会生活が営めないので戦略的に目をそらすけれど。
お金と命。
どちらも守られているのはほとんど運でしかないのだ。