誰かの仕事におんぶにだっこ
久々にスーパー銭湯に行ったのが昨日のハイライト。
嫁はんもご機嫌。むんむくむん。
「休日も平日と同じように何かしなくちゃ!」という気持ちがだんだんなくなってきた。
休日も平日もやりたいように過ごすのだ。
そのためにある程度ルーチンを決めることには意味があるけど、それ以上何をしたところで……。
スーパー銭湯みたいな施設を経営しようと考えるに至るまでの理路、その資金をどのように集めたのか、どのように提供しているのかなどが気になる。
例えば昨日の休憩所ではWOWOWを流しっぱなしにしてミニミニ映画館状態を作っているのだけれど、あれ権利団体から許可を取っているのだろうか。
公衆放映権とかあったよな。
まあ、いらぬ心配をしても仕方がない。
この世は誰かの仕事で回っている。
俺は誰かに対してほとんど仕事をせず暮らしているので、さすがに最近飲食店などに行くと申し訳なく感じてきた。
やらなくてもいいことだから俺はやらないよ!といいつつも、誰かにやってもらって楽しんでいるのだ。
俺の哲学を徹底しようとすれば自分を楽しませるのは自分だけであり、大規模な娯楽やお客様と店員的な関係は生まれえない。
他人に仕事を指せるために人類最高の発明の一つたるお金が生まれ、それが地球を回していて、俺はその流れにただ、乗っているだけ。
仕事をする意味というのは
・生きるため
・馬鹿にされないため
・他社の仕事に対し言い訳となるのは自分も仕事をしているという事実だけだから
という3つがあって、3つ目が勤労の義務の根拠となっているんだなと思う。
憲法にしろなんにしろ、成立の過程では及びもつかない理路があるものである。
まあでも今日は安息日だからと俺は働かない。