映画『麦子さんと』ネタバレ感想
3年前から2つのドメインを取得しているのだが、全然動かせていない。
そして、こちらの無料のにっきだけを毎日更新している。
やっぱり無意味だなーと自分でも納得できているものしか毎日はやれない。
というかやるのが怖いのだ。
おまけに、その必要性に駆られてもいないと来ている。
しかし、ケツに火がついてからそんなことをしている暇はないし、重要だけど緊急なことがそこにあるのはわかっているんだが。
まあ、でもそれをしなかったところで別にマイナスになることは何にもないのだ。
俺がすべきなのはとにかく全力でリスクを回避することであり、悪魔の誘惑に耳を貸してはならない。
やりたいことをやるだけさ。
さて、映画『麦子さんと』を観た。
「麦子さんと」なんだったのよ、と思うが、吉田恵輔監督らしい手触りのあるいい作品だった。汚いスーパーとかダサい祭りとかゲオみたいな店でのバイトとか、なんかしみったれたものがよく出てくる。きれいなもんだけで撮るような映画は俺は取りませんよという自負が作品に表れている。
ちゃんと堀北真希がそのまんま美人扱いされており、ほかにはなるべく美男美女を配さないようにしよう、というのもまあ、そういうこと。
なんなら現実よりもうちょっとしみったれたくらいの都市と田舎を映画いてくれるくらいがちょうどよくリアルだなあと思える。わからんけど、フィギュアの汚しみたいなこと?最終的には親孝行みたいな話になって、ちょっとおかんいい人過ぎないかという薄ら甘さは感じるのだが、そこはそれ、職業監督として当時の堀北真希は輝かせますよという考えなんだろうなと、好意的な解釈。まあでも、目覚まし時計割っちゃったとかは苦々しいしな。
堀北真希はかわいいけど演技があんまりうまくないなあ。そもそも感情がはっきりしたタイプでもなさそうやし、畑でスカウトされなければそのまんま麦子みたいになっていたのではないか。そして今は麦子のように暮らしているのではないかという気がする。
あの家に2人で暮らし続けるのは負担なのではないかと気になるが、まあ出ていくのが億劫なんだろうし、そのあたりの人生を変える意思のなさが家族一人一人のダメ感の決勝なんやろうなあ。
あのまま麦子は声優学校に行き、なんともならずに母と同じような人生を歩み、母と同じように子どもから「親と思ってないから」といわれるのかもしれない。
堀北真希の演技をあしざまに言い過ぎているかもしれない。
なんか俺が頑張ったらこれくらいになりそうだなと思ったからついつい演技の才能にケチをつけたが、べつに「ない」ではないと思う。
泣くときとかも違和感がなかった。
ただ、他がうますぎたのかもしれない。
最後の目覚まし時計が修理されているワンカットをみんな「あれはずるい」などとほめそやすていたが、俺は気づきもしなかった。
あ、あの目覚まし時計が最期にもっかい映ったなというだけだ。
解像度が低い。
長年、ながらみを続けた結果、結構ちゃんと見ても雑に物語を「見ている」だけしかできなくなっている。
もう一度「読み方」を学びなおさなきゃ。
あるいはこれまでなかった「読み方」で空白を満たさなきゃ。
『空白』で松坂桃李が古田新太にする説明がちょっと嘘が混じっているというのも気づいてなくて、さっき5ちゃんを見て気づいたからな。