裸で独りぼっち

マジの日記

希望の轍

とりあえずひとつ、なにか一つできたらそのひはいい日だった、ということでいいじゃないか。

(イスカリ人のことわざ)

もちろんこんなことわざはない。ネットにはこういう嘘があふれているんだろうなと思う。

結局何かを言うためにはその根拠が必要だし、その根拠はその根拠を保証するだけの権威が必要だし、その権威とはすなわちやばいことやったらさすがにこの組織に損しかないよなというリスクの事である。

俺はリスクを回避したいとばかり考えて生きている。

それは変わらないぞ。

 

ずいぶん寒くなって日も短くなり、眠たさもひとしおである。

陽が落ちると体も眠る体制に入るので仕事の能率は上がるのではないかと思うが、ご存じの通り平均賃金最低は沖縄である。

これは、コメが本来熱帯の植物だが、品種改良により寒い地域の特産品となったことと関係しているのかもしれない。

くそう、電灯のやつめ。

 

昨日やったことを頭から思い出そうとしてもはっきりと像が形を成さず、今思っていることをつらつらと書き連ねるばかりになってしまう。

英語とピアノをやった。

俺はいいとこの女子小学生か。

 

夜はokamoto kensetsuとラジオを取った。

しかし、これでは何ともかんともならない。

 

才能はどうしようもないものとどうにかなるものの二種類に分かれる。

どうしようもないものは国籍とか、身長とか、遺伝とか、育った環境とか、そういう絶対的な属性である。みんなが「ない」ものとして扱っているそれだ。

どうにかなるものは特急電車と各停電車の違いである。特急の方が早いが、各停だって時間を書ければ同じ場所にたどり着ける。特急が途中で大破したり、エンストしたりすることもある。

俺の各停電車はあっちこっちに走り出し、目的地はない。

ただそれでも轍は色々なところに残る。

そのうれしさで生きているのだ。