雑草記
俺は毎日少し数学を勉強しているが、数学がどう考えても苦手である。
苦手なことをやらざるを得ない病気にかかっている。
人間は真円になれない。
人類の英知はでかく、ハロー効果によってときにスーパーマンのように見えてしまう人もいるが、実際のところは得意分野でとんがっただけのただのマン(man)だ。
スーパーマンという幻想が存在していること自体がそれが真っ赤なウソであることを語っているようだし、そもそもスーパーマンだって料理や音楽や軽妙な会話ができるかというとできなさそうである。
であるからして、人間は可能性を狭められることで「何者か」になることができる。
何者か、とは世間に対してその人を説明するためのラベルのようなものだ。
ラベルがついたからこそ商品価値があり、名前のない植物はすべて雑草なのである。
しかし、花屋というのは因果な商売で、だいたい切り花は販売してから2週間でしおれてしまう。2週間のスポットライトを浴びた後は、たいていゴミ箱に直行なのだ。
祭壇に飾られるような花ならばもっと短いだろう。
それならば、地べたで犬にしょうべんでもかけられている方がいいと思って二十余年を過ごしてきたが(余が大きい)、しかし、雑草はきっと可能性を残したままではいつまでたっても雑草だからなあ。
学生時代、うちの家庭菜園の草むしりを全然手伝わなかったオレ。
今に頭かきむしり、あのときの借りを返さなければならない気がしている。