「詩」
なんというか、脳に悪い生活をしている場合ではない。
昨日は車のタイヤも替えたし、原稿の連絡もよこしたし、やるべきことの勘所は押さえたはずだ。
しかし、どうにもむなしい。
体を動かすような仕事がしたい。
頭だって大して動かしてはいない。
PCに向かっている場合ではない。
世の中に価値を注ぎたい?
というようなことを定期的に書くことで俺の中の「社会」を排泄している。
社会は俺の肥やしであり、すくすくと育った俺は実をつけない。
鑑賞用なのだ。
周囲の花々は実をつけては積まれて生き、俺はきれいな花をつけず、さらに無果花なので、さわられない。
すくすくと、しおれていく。
といいつつ、数年後には子供が欲しいねなんて嫁はんと話している。
マジで、結婚だけが俺と社会を接続させていて、もちろん時折仕事もするんだけど、やっぱりPC通じてだけのやり取りでは社会で働いているとは言えないのだ。
テレワーク、リモートワークがどうとかの話ではなく、所属感とコミュニティへの貢献の物語だ。
俺はどうしたって一匹狼を気取りたくなるが、その実平凡なイワシの一匹なので、気持ちだけではどうにもならない。
気持ち一つ抱えて漂う。
こういう矛盾だらけの気持ちをパンチラインちりばめつつ書き散らしてチンコロ回すのが「詩」だと思っているのは間違いか?