映画『南極料理人』ネタバレ感想
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浅田次郎原作の気がしていたが全然違った。
社会と隔絶された空間で大学生みたいな暮らしをしたいという、一種の逃避願望を存分に満たしてくれる作品。日常アニメみたいなもので、この世界で暮らせたらなあ……と思わせたら勝ちである。
途中から閉鎖空間でのストレスみたいなものも濃くなってくるのだが、意外とそこは深刻にならず。任期終了までのカウントダウンもだんだん曖昧になってきて、突然物語は終わりを迎える。
最後、堺雅人演じる料理人西村が包丁をしまってがらんどうの基地を出ようとしたときは、「まさか、全部西村の妄想だったってこと? あるいは全員西村に殺された? すげー話だ・・・」と勘違いしたが、そんなことはなかった。まあ、そうなっても全然話として気持ちよくはないのでそうならなくてよかったと思う。しかし、少しにおわせていたんじゃないかなそれを。
最初に遭難したみたいな様子だったので、いずれそういう山場が来るかと身構えていたが、そんなことはなし。あれは最初の行軍だったのか。
南極の飯はどれもうまそうで、特にラーメンがまんを持して登場したときは謎の感動を覚えた。ただ、あまりに豪華な飯ばかりかつ、日本と同じ料理だったので、どこかで南極ならではの要素もあれば印象に残ったのだが、まあ何の動物もいないのだから仕方ないか。
氷のかき氷で我慢する。
飯というのは最後の娯楽なんだなと思う。
あるいは最初の娯楽か。
今まで五感のうちどれを奪われてもいいかという益体のない妄想遊びをする際、「味覚か嗅覚だな」と考えていたのだが、コロナというそれらを奪い取るリアルな脅威の存在が身近になってこっち、それらが奪われるということについて色々考えさせられてしまった。
それでも視覚と聴覚と触覚はちょっと優先したいところではあるのだが、飯から娯楽性が奪われたら、毎日ちょっとずつ俺はダメージを追い、どんどんそれこそ、無味乾燥な心になっていくのだろう。
いまでもあまり飯にこだわらないので無味乾燥な心なのだ。
ロボットみたいになってしまうよ。
『横道世之介』と同じ監督だと知ってなるほど、そっちの評判も良く聞くしなと思った。
その割に名前を聞いてもぴんと来ないのはなぜだろう。
表に出るのを嫌うタイプなのだろうか。
(こういった推測はたいてい間違っている)