社会の評価
どうかんがえたってマックのコーヒーが一番安いに決まっているのだ。
関西人ぶるために無理にマクドという略称を使っていたあの頃の俺。
今もかばんにはいらないものをたくさん詰め込んでおり、主にPCの重量ですぐに疲れてしまうよ。
暑い季節がやってきた。
昨日は丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーで『元やくざの弁護士』の回を見た。
こういうのを見て「元悪人の癖に!」と反発する気持が亡くなり、「はあ~偉い人やわア」と思うようになった。
不良が改心したからといって普通に悪いことをせずに生きている奴より褒められるのはおかしいという説はこち亀の著作権侵害を添えながら頻繁でSNS等で取りざたされるのだが、
結局我々の無意識は損得勘定に従って誰かを褒めたり褒めなかったりといったジャッジを下しており、意識はそれに理由をつけるだけ。
元々悪いやつが更生した例はどんどん称揚した方が、単純な彼らは追従して結果社会が良くなるけど、普通のやつはほっといても普通のままで害をなさないから。
などと言っていると、無敵の人化する例だって出てきかねないので、「自分を大事にする」みたいな価値観が生まれているのだが、あまりにそちらを強調し過ぎると、「じゃあ、自分を大事にするために嫌な労働はしませんよ」という俺みたいな寝そべり族的マルクス主義者が出てきてしまうので、そのあたりバランスが難しい。
社会の評価というのはこうした絶妙な集合的無意識によって成り立っているのだと思う。
というと、ユング的というか、だんだんとオカルト的な領域に入っていきそうだなあ。
一つおいしい仕事がなくなって少しがっかりだが、同時に仕事は嫌いなので、少し解放感。
そういう私。