裸で独りぼっち

マジの日記

『ジョーカー』 97点 ライ麦畑のジョーカー※ネタバレ

Filmarks感想

ジョーカーの前日譚? そんなもの描いたらシラケるにきまってるだろ! と思っていたんだけどやけに業界内外の評判が良いので矢も楯もたまらず鑑賞。
結果、大傑作でした。

「あのまま大人になったホールデン・コーフィールド」「生き延びた櫛森秀一」「ゴッサムシティの加藤智弘」としてジョーカーを描いたとしたら、どうなるのか?

そんなかわいそうな、現実にいるような、文学的な犯罪者としてジョーカーを描くことはタブーだと思っていたのは前述の通りだが、実際のところそれこそが正解だったといえる。

──なるほどジョーカーはこんなやつだったのか

素直にそう思えたのは、すでにアカデミー主演男優賞級と称賛を浴びるホアキン・フェニックスの演じる力による。

特に上手だと思ったのが隣人のシングルマザーとの交流・ロマンスはほとんどアーサーの妄想で、実際はアーサーは一人ぼっちで笑いものになり、独りぼっちで家に帰り、母の看病に出向いていたのだということ。

そう。現実は「そう」なのだ。だからこそ「俺たち」はかわいそうだし、なのにかわいそうと思われないし、反社会的になっていく。

その闇に一条射す光としてバットマンは登場できるのだろうか? 消してないと思うけれど、それでもこの先の希望を示す物語としての「バットマンビギンズ」がみたいと、そう思った。
……変な忍者の修業はなしでね。

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Story

コメディアンを目指すピエロのアーサー・フレックは病気の母を世話しながらつましくくらしていた。笑いが止まらない発作という病をかかえ、待ちの悪ガキには看板を奪われとさんざんな日常を過ごすアーサー。そんなかれは職場のランダルから渡された銃をいつも“持っていた”。

 

ジョーカーは「無敵の人」

ほぼFilmarksで総論としてのジョーカー評は終わってしまった。

乱暴になってしまいかねないのでFilmarksでは省いたが要するに「無敵の人」の誕生するまでをゴッサムシティという魅力的な書き割の街に託して描いたということだろう。

無敵の人とは

簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない人々を指す。

出典:無敵の人とは (ムテキノヒトとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

誰にも愛されていないし、これからも愛されることはない、そう確信したら犯罪なんてジョークと変わらない。誰もが目をひそめる賛否極まる状況なんてない。人間の首から血が噴き出していようが、テレビの前で大物司会者が銃殺されようが、そんなものただの「ジョーク(嗤い話)」だ。

 

アーサーはなぜ「笑い病」にかかっていたのか

人生はクローズアップで見れば悲劇だが,ロングショットで見れば喜劇だ

――チャールズ・チャップリン

 アーサーがトーマス・ウェインと邂逅するあの場面で、『モダンタイムス』の例のシーンが流れていたのは象徴的だ。

恵まれた一部の人々にとっては笑える喜劇だが、とうのチャーリーは目隠しでがけっぷちにいるのである。アーサーもみなと同じように笑って見せるが、心は笑っていない

彼の病気だ。

その病気は過分に精神的なものであろう。あんな風に心に負ったストレスが身体に現れてしまう現象をチックという。通常子供に現れやすく、代表例としてはビートたけしの右頬や肩の引きつりが挙げられるだろう。実は、俺自身も小学生自分より鼻がピクッとするチック症状がある。

その経験から彼の精神分析をするなら彼の笑いはストレスが原因だ。ストレスから逃れるための「人生をクローズアップでみようという無意識の試み」、それが笑うということなのである。

 

ジョーカーとISISとインセルと無敵の人

ジョーカーは子供にやさしい。バスであった子どもを変顔で楽しませようとし、ブルース・ウェインをマジックで笑わせようとする。

それは、彼がホールデン・コーフィールドだからだ。

ライ麦畑で子供が落っこちるのをキャッチする、そんな仕事に就きたいんだ。

ホールデンがそれに固執するのは、大人としての責任を重苦しく感じ、今の自分がよりどころにできる正義がそこにしかないと思うからだ。

ジョーカーが―よりどころにしていたのは、母と笑いだった。

いずれもを虚仮にされた彼はついに、ジョーカーとなる。

ジョーカーは独りだが、一人ではない。今日も尊厳を命を虚仮にされたと感じた若者がISISに志願し、インセルや無敵の人として狂っている。

 

ジョーカーを倒せるのは誰か?

上記のような問題を解決できるのは誰なのか?

俺はDJ松永だと思っている。

あるいは霜降り明星ハナコかもしれない。

上記のような問題が発生するにつれ人生に逆転はなく、だれも愛してくれないという学習性無力感で無敵の人になっちゃおうかな…という人は少なからず世の中にいると思う。

それを解決するには「まっとうにやる」しかない。

その「まっとうにやる」ができねーんだよ、という話だが、そこで謙虚にやりたいことをもくもくとやるべき形でやり、認められる。

それでもその認められるということに過剰に意味を見出さず、ただやるということをやりつづける、その人生において素晴らしいのは「やった」ことであり「勝った」ことではない

そういうロールモデルを示してくれるスターがいることが重要なのだ

その端緒としてラジオで負け顔を魅せながら先日DMCで優勝し世界1のDJとなったDJ松永や漫才・コントで天下を取りながらもネタへの情熱を緩めない霜降り明星ハナコが挙げられるのである。

 

その役割をバットマンが担う続編が出るとすればぞくぞくするが、バットマンは結局闇の側でありそれこそが魅力だからなあ…。

 

↓『ダークナイト』の感想

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