20200504_求む、有意義っぽい遊び
機能はかなりいろいろ進んだ日ではなかったろーか。
Pythonのできたし、動画の勉強もできた。
原稿も1本仕上げて2本目に着手している。
しかし、嫁はんが帰ってきて「うちってつまんねーな」「結婚とは」と言い出したのは問題だ。
俺は家が楽しいが、それはよく考えたらそれはそうで、毎日遊んでいるからである。
有意義っぽいことをして遊んでいるのだ。
金に変わらないうちは仕事ではないし、金に変わったとて人とのつながりや社会的責任から距離を取っている時点で誰かのための「仕事」とは言えないのかもしれない。
ともかくこの外出制限化で嫁はんが「こりゃ楽しいうちや! うち!うちがすっきゃ!」と思えるようにせねばなるまい。
セネガル。
しかし、エンタメをみているときも仕事を考えるのもまた人間であり、嫁はんもまた人間である。エンタメでストレートに楽しもうよとしても、仕事のことが頭をもたげて楽しめやしないということもあるいは起こりえるのではないか。
そう、嫁にも何か「有意義っぽい遊び」が必要なのだ。
しかし、「有意義っぽい遊び」は得てして個人プレーになりやすい。仕事の勉強も有意義っぽい遊びなわけだが、職種が異なる以上そこで共有できることは何もないわけだ。そういう意味で同職種の人間と職場結婚する人間に一定のメリットがあることは認めざるを得ないだろう。
俺はそんなの息が詰まって苦しいだけだとずっと不可解なまなざして見つめていたけれど。
共有したい人たちにとってそれは強いきずなといえるのだろう。
そうでないものにとってきずなと呼べるのは子どもで、だから人はかすがいを作りたがるのかもしれない。