20200908_人生はパチンコ
やってられるかやってられないで言ったらやってられるんだけど、どうにも攻撃的な気分だ。
どう考えてもほぼベストな時間の使い方ができているし、朝はなかなか早く起きているし、余計なことにリソースを割いてもいないのに成果物は大して生まれていない。
ベストを尽くせば何でもできるさ、俺はやり方がへたくそなだけと考えてやってきたが、天井が見えてきているのかもしれない。
といいつつ、ベスト(と思える方法)を捨ててやるべきことなど何もない。
粛々と続けるだけである。
そして確変を待つ。
そう思えば、人生などパチンコのようなものだ。
俺は色んな台でちょっとずつ打つという超絶効率の悪いことをしているのだが、一つの台にずっと座っていたとして、それは退屈なことだし大当たりが来るかどうかもわからない。
でもそれも、いいわけなのかな。
わからなくなってきている。
でも、それでいいのだ。
ともかく現状は認めなければならない。
肯定ではない。あるということを認めることが大事である。
映画『透明人間』を見に行きたいと思って家を出て、ドトールで仕事に少し手を付けるうちに見る気をなくす、という行為を2日続けている。
これが、忙しくて見る場合じゃない状態なのか、実質『透明人間』を見たい気持ちが仕事をしたい気持ちを下回っているのかが判然としない。
俺は仕事を下に見ている。
正直今の生活に不自由しない状態で仕事にあくせくしてひーひーいうのは本質を見失っており、非常に滑稽だと思っている。
しかし、舞い込んできたものは受けてしまうし、ある程度好条件なのに断ると罰が当たり、将来的に後悔するのではないかという不安の虫が湧いてしまうのだ。
将来なんてあるかないのかわからないのにね。
太宰のきりぎりすを読んだ。
梨泰院クラスを見た。