皮肉なものだなスナフキン
職業と傷病と衝動と小休止。
いろいろと考えさせられまんな。
俺はずっーと仕事というものをどちらかというと馬鹿にしてきた。
「あんなものに一所懸命になるなんて、働きアリと一緒だよ」という感覚があった。
言葉にすると陳腐で中二くさくなるが、感覚としては同じものを持っている人は少なくないのではないだろうか。
しかし、一応働かないでも生活できる状態がある程度整っている今でも、働いている。
どうしたことか。
俺はニート志望者じゃなかったのか。
嫌儲かつ嫌労ではなかったのか。
結局どこかで社会の部品の一つとして現役でやっていけると感じて安心したいのだ。
俺は狭い目に見える形での会社やチームみたいな人間集団は嫌いだが、その外側に広がる社会の辺縁でスナフキンみたいにたまに顔を出しながら生きていきたいと思っているらしい。
ようするに、フリーライダーになりたいってことのような気もする。
害悪だなあ。
Mrs.GreenAppleの歌詞に「ワタクシのお仕事は・素材になること全てになんかなれずに・一部になること」(庶幾の歌)というのがあって、そのフレーズが妙に頭に残っているのはそういう社会参加的な感覚がJpop/Rockの文脈で肯定的に描かれるのが珍しいからかなと思った。
嫁はんはときに壁にぶつかりながら仕事に邁進している。
そういう人と関わらなければ気づくことのなかった感覚だろうなと思う。
働かなくてよい術を得て、結局働くことからは逃れられない人間(ホモ・オプス)だと知るのは皮肉なものである。