ジャーナリズムと安寧
ぬるぬる仕事を進める一日。
嫁はんは一週間経ち、ちょっと仕事にも慣れてきたようだ。
俺も暇だと思った四月に仕事がちょこちょこと舞い込んで結局同じになりつつある。
繰り返しは単調なようだが、まあ楽で心地よい。
コロナ後を見据えて虎視眈々としているけれども、そんな怒涛の変化に俺は耐えられるのだろうか。
とはいえ、来年は居住地をほぼ確実に変えることになる。
変化を厭わず以降ではないか。
自分の記事を書かずにフリーになって2年ほどたつ。
自分の記事とは、自分が自主的にサイトとかに、金をもらうでもなく書きつける記事だ。
(これはブログなので記事とは言えないとする)
いや、映画感想とかも書いていたけれど、そういうのじゃなくてビジネス的なやつ?
あるいはジャーナリスト的な奴。
せっかくほかで糊口をしのいでいるのだからそちらに投資して一端のライターになれるよう努力すべきではないかと文春の長めの記事「女性自衛官の連載とか」を読むと思う。
やっぱり、労働問題を探るためにユニクロに2年間バイトとして潜入した人とか、つけびの村のひととか、高野秀行的な体当たり的な旅で情報を集めるとか、そういうことをしている人に机上の記事で勝てるわけがないと思う。
あるいはデイリーポータルであるような○○試してみたとか。
まあ、どっちも等しく労力がかかっているだろうけど、前者に惹かれる気持ちはある。
けど、やっぱりそれはいばらの道だ。
家庭をぐらつかせない範囲で冒険したいというどっちつかずの考え。
やっぱりそれはわがままだよなあ。
と思いつつも、大学中退して芸人なるみたいなことをしなくて本当に良かった、大学出ても何でもできるやん、何かをやるために何かをやめるという選択肢は基本的に逃げであると、数年来結論に達しているので、そのわがままに耐えきることが大事だとも思う。
機を見て敏に動くのだ。