裸で独りぼっち

マジの日記

いじめについての意見──みんなと一緒でした

昨日は映画を見て、英語を翻訳して、記事を途中まで書いて、曲を作って、廃墟の絵を少し直して、夜ご飯には豚肉とエリンギとネギと大根を和風パスタソースで炒めたものを食べて、ブログを書いて、映画『騙し絵の牙』を見た日だった。

騙し絵の牙の感想は以下。

 

原作も読んでいた。どちらかと言えばそちらの結論の方が好みだ。Web化とブランド化の二極体制よりもメディアミックスの編集エージェントの方がリアルに感じられる。
小説では結局速水の目的はこうであった、という形で話が終わるのでその意図も伝わりやすいが映画の速水は結局何をやりたい人なのかよくわからなかった。「面白ければいいんだよ」というが面白いはすぐ廃れるからな。それは、すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなります文学部最高!出版に光を!的な話ではなく、そもそもエンタメ産業は虚業だという意味において。
面白さで耳目を集めれば数字がでるわけもなく、それこそ速水自身が話していた通り「たまたま」で成果の8割は決まるわけで、重要なのはたまたまのホームランと大きく外さないリスク対策だと。ようするに、会社ということだけど。
あれ?結局何が言いたいんだっけ?
──完全にWeb化するとか、隠された才能を発掘するとか、そういうのは表層に過ぎないということだった。
そういう意味で速水のカウンターとして高野の行動をもってきて、それは見事だったけれど、そのさらにカウンターというか、従来のあり方の強さみたいなものもあればよかったよなあと思う。
それにはやっぱり工藤ら小説薫風勢が敵役として力不足過ぎた。矢代を引き抜かれたところでそれほどの痛みになるとも思えず、そもそも内ゲバなので争いとして小さすぎる。
映画のルックとして一番気になったのがワイドショーの場面がコント的というか、アナウンサーもののAV出てくる偽物のニュースみたいだったこと。
出版の敵は可処分時間を奪うほかのメディアであり、なによりも今回提携を決断したWebである。だとすれば、結論は今回と同じく「食われる前に懐に入ってやる」でいいから、もう少し敵として分厚くリアリティをもって描いてほしかったところだ。
組織内の権力闘争ものとしての面白みはなかった(繰り返すが、小説薫風側が弱すぎた)ので、その分を他メディアの描写に充ててほしかったなあ。
とはいえ思ったくらいに面白かった。

 

色々なことができてよかったなと思う。

騙し絵の牙は出版界を支えるため、あるいは老舗出版社で権力を維持するために大泉洋たちが奮闘する話なのだが、最近「必要な仕事とは……?」と考えている俺にとって、結局出版なんてなくなっても問題ないんじゃないの?と問題そのものに対するスノッブな視点がぬぐえずゆえに十分にのめりこめずな作品であった。

なんというか、『左利きのエレン』とかもそうだけど天才とか、凡人で苦しいとか、認められたいとか、よく考えたら贅沢な話だ。

昨日は北海道旭川市で性的いじめにより自殺した少女の胸糞文春記事がバズっていたが、そういう過去も全然お前ら俺達にはありえたのである。

ああいう記事を見るとかっと頭が熱くなって「加害者は死刑にすべき!」なんてみな息巻くあるいはもう少し穏健に「学校にもっと司法が介入できるべき」とかいうけれど、なんか、ほんとは、究極的に言うとお前らにとっても俺にとっても対岸の火事だよな…と思う。

俺はかつて新聞社の面接で「過去のいじめ体験からいじめをなくすような記事をうんぬんかんぬん」てきなESを持ち込んで挑んだことがある。といっても、この問題、デリケートで当事者が言っても無神経になってしまいかねないのであれなのだけど、俺のされたいじめは上品な地域の気風と俺の性別体格その他が功を奏し、軽いじめだったと思うが。

で、その面接において「いじめをなくしたいといっているけど君はどうしたいと思っているの?」と問われた俺は目を三角にして「いじめられっ子はいじめっ子は殺してもいいというメッセージを発信すればいいと思います」といった。面接官はあきれた様子で「そりゃ強い人はそうできるだろうけど、そういうことができない子もいるじゃない」と返す。俺はろくな返答もできず、落ちた。

というか、そもそも大していじめをなくしたいとも思っておらず、ずーっと俺が思っていたのは「就職したくないがぜいたくな暮らしはしたいしずっと俺でありたい」というおもいだったので(今思い返すと)落ちたのは当然だ。

しかし、目を三角にしたおれの返答はやぱりいまだに否定しがたいところがある。いや、いじめの事実をどうやって証明するんだとか、いじめ側が悪用しそうとか、私刑を肯定するのか、とかいろいろと問題はあるんだけど、要するに倫理に訴えかけてもしょうがないと俺は考えている。

人に危害を加えるということは「殺るか殺られるか」の俎上に立つということだと思い知らせることしか、未然に防ぐ策はないような気がするのだ。

でも、まあそれを100倍馬鹿にしたら「加害者を殺せ!」になるし、希釈したら「学校に司法の介入を認めるべき」とかになるんだろうな。

みんなと一緒です。