『パームスプリングス』見た
別に毎日喫茶店に行くこともないと思うのだけれど、なんとなく毎日続けていると条件づけられてしまっていかないといけないような気分になってしまう。
外で仕事ばかりしていると家では仕事できないような気になってしまうし、映画館でばかり映画ばかり見ているとうちの小さな画面としょぼい音響ではすぐにスマホをいじりたくなってしまう。
という風に洗脳されている。
お金がないと生きていけない。
飯は三食食べるものだ。
夜になったら眠る。
外に出るときは下半身はしまう。
このまま羅列していくと歌詞にシテしまいたくなる(笑)のでやめておこう(笑)
ちなみに今は喫茶店ではなく、うちのリビングでこれを書いている。
昨日は映画館で『パーム・スプリングス』を見た。
まあまあだった。
つまらなくはないけどなんかずっともっと面白くすっきりとした話にできそうなのに寄り道したり、ふざけたりしてる感じ。
主人公2人が若干落ち着いてきただけのイケイケ人間なので全然共感ができない。舞うもって欠陥だと思うのは本作第三の重要人物であるロイが物語の道具としてしか配置されていないことだと思う。もっと序盤から襲撃に来い!
本作の脚本を固めていく上での優先順位を邪推すると、「ループものでやりたい放題やっている描写を描きたい」>「ループ空間での“普通の恋愛”が形成されていくストーリーにしたい」>「恐竜や爆発を出したい」>「ループ空間に安住するか? それとも脱出するか?というテーマ」だと思う。
ロイは最後のテーマ性を付与するためのただの道具だ。
あと、殺しギャグを入れたかった?とにかくそれならいっそ「終わらない日常がどうの」という手あかのついたループもののテーマは捨て去って(ロイの存在を消し去って)、ループ要素ありの純粋ラブコメにすりゃよかった…と思うけどそうすると『恋はデ・ジャブ』とか『アバウトタイム』みたいになったちゃうのか。
まあ、下品なそれでよかったと思うけど。。
恐竜の役割が最初分からなかった。
けど、エピローグで「ロイの記憶が引き継がれていないナイルズ」が登場したことから察するに、ループ開始時点でパラレルワールドが発生したっていうことやんな? 最後にプールに浮かんだ二人は、恐竜が存在するパラレルワールドの二人で、もとの時間軸はまた別に存在する。ループ中の人間はその間で両方をちらつくバグデータみたいなもの、と。
ループ世界ができたらそこから脱出なんか試みるより遊びまくるよなあという発想が原点にあると思しそこには痛く共感したので、「戻る戻らない」の話は後半にもってきてじっくり遊ばせてほしかった。
けど、アメリカ陽キャだったら「わかる~」話なのかもしれない。
パームスプリングス…ヤシの♨?手のひらの春?
最近毎日英語の記事を読んでいるが、こんなことすらわからない。
帰りに、なんとなく洋楽の聴き方がわかってきた気がした。
以前は「歌詞のわからないおんがくなんか片手落ちだよな~」といって、理屈をこねて洋楽に(マイケミとか多少の例外はあれど)アレルギーを示していたのだが、なるほど、もっと「気分」で聞くもんなんだろうな。
俺は長年「BGM」の意味すら理解していなかったようだ。
無音のまま、人生は進む。
取材が控えているとちょっと気が重い。
大して金がもらえるわけでもないし断ってもいいのだけど、本当は調査して書くよりもよほど効率がいいことは知っているのだ。
ただ、のど元過ぎる前は人肌が気持ち悪いだけ。
わかっているんだけどねえ