裸で独りぼっち

マジの日記

『ピーチバム』みた

阿蘇ね、仕事をして、嘘喰いを読んでの繰り返しの日々。

11:50から映画を見た。

ビーチ・バム まじめに不真面目

クソ野郎が時に人も傷つけながら悪いことをしまくって最後まで成長しない(なかなかどころか)胸糞話なんだけど、主人公だから何となく許せるかも……というあわいで最後まで話を引っ張る映画。サメのところとか、エピソードは面白かったけどここまで主人公の思想に変化がないと(最後涙を流していたけど)1時間半が限界だったかもしれない。
Wikiによると批評家筋の評価もまあまあくらいっぽいので意外と本国の温度感は同じくらいなのかも。
昨日『グッドフェローズ』を見た。あちらのネタバレになってしまうのだけど、オチで感じる胃もふたもなさは同じというか。凡人が一生懸命に働いて犯罪を犯さず人に親切にしている横を、倫理観のなさや詩の才能を武器にF1カーの速度で抜き去っていく感じ。それで「どうせクラッシュするさ」とこっちが冷ややかに見ているんだけど意外と乗り越えられたり、放蕩生活の中でなぜか愛されて助けてもらえたりする、あの感じ。「幸福って何なのかねえ」という感じが似ている。
俺もそういうこと(道徳や良識と幸福が比例しない、時に枷となることについて)は以前から考えていたのだけれど、「人類という共同体についてプラスかどうか」という視点で考えると、「やっぱ糞じゃん」という結論になった。百姓や研究者がえらいんだ!人類に資するものこそ価値があるんだ!
でも、明日魔法やらでカタツムリに変えられてしまったら、ヌメヌメと地面を這うことが最高で、「塩をまいてくる人類はクソだ!」と叫ぶだろうね。

スヌープ・ドッグは色気があった。後、序盤の嫁はんの指にタバコ挟んで吸うシーンが妙にお気に入り。
ビーチ・バム まじめに不真面目上映中

 こういう「悪い奴ほどよく眠る的問題」にどう解決をもたらすかについて、カントの『純粋理性批判』も頼りになるらしい、と文春の名著要約コーナーで読んだ。

哲学は人間生きるうえでどうしてもしなければならない場面があるし、そういう意味で必要なんだけど、必要に駆られてやるものであって、学問としてやり始めるとそれはそれはつらいだろう。

俺は文学部芸術学科。

面白いものを取り扱えるなんでもゼミに所属していた。

一応選抜めいたものがあったんだけど、よく考えたらなんでもやりたい奴が何でもやりたいから入っただけで、本当に俺は学問やりに大学に入ってなかったなあと思う。

けど、別に遊びに行ったわけでもないし。

おかれた場所で安穏と暮らすことばかり考えている。特に世界や正義や示威行為には興味がないのだ。

自慰行為にはあるけど。

 

はは、おはずかしい。

 

こういう思ってもいない一文をついつい日記に含めたくなる癖がある。なんというか「かんなん全部嘘ですよ」感を自分で演出従っているかのようだ。

読者はリアルを求めているけど、読者もいないし、結局リアルもくだらないし。

てかないし。

本当に本当のことを書くのは難しい。